ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

メガネ3兄弟

2007年06月21日 22時11分17秒 | 日記2005-10
 新調したメガネを取りにいってきました。写真は下から先々代、先代、今回のメガネたち。縁なし丸メガネからレンズ面積が減り横長の楕円へ、それから蔓が太くレンズは角張るというようにそれぞれの時代の流行りが見て取れます。今回のフレームはチタン製なので思ったより軽く、見た目は無難なデザインなので鏡を覗いてもつけて一時間ですでに違和感なし。先々代から視力はほとんど落ちてないので使い分けできそうです。と、先代も使い分けるつもりで買ったのにすっかり新しい方で落ち着いてしまいました。今回も結局そうなりそうな予感。
 次代はどうなることやら。
~~~~~~~
 6/23、キタラでの札響500回記念公演、マーラー『復活』!!
 憧れの曲。未だ生で聴いたことがなく是非とも聴きに行こうと思いつつ日頃の雑事でチケット購入が遅れ、昨日やっと電話。

『チケット完売です』

同じセリフを何度言わせるつもり? もうあきあき…、と対応したお姉さんの心の声が聴こえてくるかのような売り切れっぷり。最近何度かキタラにいてチケット買うチャンスがあったのに、あの時買っておけば… 本番の依頼がもしあったら、と考えるとあんまり前からチケット買えないという事情もあるのです。
 ほとんど金を払って演奏会を聴くことはなかったりするのですが、なんじゃかんじゃで過去、札響@キタラでマーラーの7番と8番を聴いています。我が事ながらマーラー好きなんですね。
 かくなる上は当日特攻。奇蹟を信じて。せめて出だしのトレモロだけでも~~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前

2007年06月20日 22時13分22秒 | 読書記録2007
ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)(中)(下), 塩野七生, 新潮文庫 し-12-58・59・60(7503・7504・7505), 2004年
・ローマ人の物語、第IV集。紀元前100年から51年まで、主人公のカエサルが生れるところから、50歳になりローマへの反乱のために兵を率いてルビコン川を渡る場面まで。
・当時は未開の地であった、今でいうところのフランスやドイツを縦横に駆け回って各地のガリア人やゲルマン人との戦いにあけくれ、果ては海峡をこえてイギリスまでも足を伸ばして各地を平定し、ローマの覇権下に収めてしまうという凄まじい行動力。更にこれが2000年以上前の話だというのだから、その力にはただただ呆れるばかり。一個人にして「ヨーロッパを創作した」の一文は衝撃的です。いったい何がカエサルをそこまで駆り立てたのか!? 一凡人としては、その発想のデカさにとてもついていけません。ここに載せた図でいえば、一般人は単なる "点" にすぎないのでしょうね。
・「ユリウス・カエサル  「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」」上巻p.5
・「カエサルは姉と妹にはさまれた一人息子であったことになる。  それゆえか、母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状況になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。(中略)幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。」上巻p.40
・「家庭教師についてであれ私塾に通ってであれ、これらの教養学課の勉学は午前中に限られていた。午後は、体育の時間だ。」上巻p.47
・「「リキニウス法」が、長くローマを悩ませてきた貴族と平民の抗争に、この二階級いずれにも均等に国家の要職に就く権利を認めたことで終止符を打ったのに対し、「ユリウス市民権法」は、北はルビコン川から南はメッシーナ海峡に至るイタリア半島の、自由民すべてにローマ市民権取得を認めたことで。「ローマ連合」の盟主と同盟者の立場を平等にした点に意味があった。」上巻p.52
・「また、カエサルの文章も演説も常に、単刀直入に問題点を突くのが特色だ。」上巻p.95
・「いずれにしても、23歳のカエサルの弁護士開業は、見事な失敗で終わった。」上巻p.95
・「幸いにして、待つことを知り楽天的でもあったカエサルだが、 "大学" で学を深める前に海賊に出遭うとまでは、予想していなかったであろう。目的地のロードス島に向う海上で、乗っていた船が海賊船に襲われ、捕虜にされてしまったのだった。」上巻p.97
・「一説によれば、会計検査官(クワエストル)就任までにカエサルが積み重ねた借金の総額は、一千三百タレントにものぼったという。11万以上の数の兵士を、一年間まるまる傭える金額である。」上巻p.120
・「カエサルの読書量は、当時の知識人ナンバー・ワンと衆目一致していたキケロでも認めるところであった。」上巻p.120
・「カエサルは、モテるために贈物をしたのでなく、喜んでもらいたいがために贈ったのではないか。女とは、モテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである。」上巻p.124
・「ローマ社会では、結婚式よりも葬式のほうが重要視された。」上巻p.127
・「アレクサンダー大王やスピキオ・アフリカヌスやポンペイウスのような早熟の天才タイプでなくても、男ならばせめて、30歳になれば起ってくれないと困る。それなのにカエサルが「起つ」のは40歳になってからだから、伝記を書く者にとってはこれほど困る存在もない。」上巻p.141
・「カエサルという男は、あらゆることを一つの目的のためだけにはやらない男だった。彼においては、私益と公益でさえも、ごく自然に合一するのである。」上巻p.148
・「選挙違反は、実際にはあったらしいのである。だが、ローマ最高の弁護士といわれたキケロだ。黒を白と言いくるめることなど朝飯前だったろう。」上巻p.158
・「しかもカエサルは、女が相手でもなかなかに悪賢かった。妻を離縁して自分と結婚してくれと言う怖れのある、未婚の娘には手を出していない。彼が相手にしたのはいずれも、有夫か結婚歴のある女にかぎられていたのである。」上巻p.207
・「イタリアのある作家によれば、「女にモテただけでなく、その女たちから一度も恨みをもたれなかったという稀有な才能の持主」であったカエサル」上巻p.210
・「古今の史家や研究者たちにとっていまだに謎であるもう一つのことは、カエサルがなぜあれほども莫大な額の借金をしたのかよりも、なぜあれほども莫大な額の借金ができたのか、である。」上巻p.210
・「この男は、自分の墓にさえ関心がなかったようである。事実、彼の墓はない。」上巻p.215
・「二千年後でさえ文庫本で版を重ねるという、物書きの夢まで実現した男でもあった。」中巻p.69
・「このカエサルの文体は、次の三語で統括できるかと思う。  簡潔、明晰、洗練されたエレガンス。」中巻p.73
・「『ガリア戦記』は、前置きも導入部も何もなく、いきなり次の一句からはじめる。(中略)これで、たいていの物書きは、歴史家でも研究者でも作家でも、マイッタという気持にさせられる。なぜなら、文章を表現手段にする者にとって、前置きも導入部も書かずにいきなり本題に入るというのは、やりたいけれどやれない夢であるからだ。(中略)ということは、前置きとかイントロダクションとかは、読み手のためにある以上に、書き手のためにあるのである。」中巻p.74
・「闘わずして勝つのは、兵法の基本である。」中巻p.131
・「紀元前一世紀のイギリスは、商人も通わない遠隔の地であったのだ。自分で実地踏査するしかなかった。」中巻p.211
・「あの人は、カネに飢えていたのではない。他人のカネを、自分のカネにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。あの人の振舞いは、誰もがあの人を支援するために生れてきたのだという前提から出発していた。」中巻p.235
・「それに、兵の数も、多ければ多いほど良いとはかぎらない。カエサルは、敵より劣勢な兵力で闘うことを、不利とは考えていなかった。まずもって兵の数が少なければ、兵糧確保の問題も少なくなる。」下巻p.19
・「ためにカエサルの兵士たちには、自分の属す軍団への帰属心が非常に強く、また誇りも高かった。事実、カエサル配下の第何軍団の兵士と名乗るだけで、他国の王にも部族長に対しても、立派に "名刺" として通用したのである。」下巻p.21
・「ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。」下巻p.37
・「考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去れてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生きつづける場合が多いのだが。」下巻p.69
・「ガリア戦役七年目にしてはじめて、カエサルは盤の向こうに、自分と向い合う一人の敵(ヴェルチンジェトリックス)をもつことになったのである。」下巻p.97
・「敵にするならば、指揮系統が統一されているという点で、蛮族よりも文明国のほうが闘いやすいのである。」下巻p.98
・「ヨーロッパの町の多くは、ローマ軍の基地を起源としている。現在の町の名が、ラテン語を各国式に発音したにすぎない現状がそれを示している。」下巻p.120
・「私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並みの指揮者でしかないと思う。」下巻p.132
・「プルタルコスの記述を信ずるとすれば、カエサルによる八年間のガリア戦役で、百万人が殺され百万人が奴隷にされたという。」下巻p.163
・「しかし、現代イギリスの研究者の一人は、書いている。  「アレシアの攻防戦が、ブリタニアもふくめた、ピレネー山脈からライン河に至る地方の以後の歴史を決定した」と。」下巻p.170
・「おそらく、カエサルが全幅の信頼を寄せていた配下の将は、このラビエヌス一人であったろう。」下巻p.227
・「副将の離反を知ったカエサルは、ラビエヌスが置いていった荷のすべてを、彼あてに送るよう命じた。これが、13年来の同志の離反に際し、カエサルがやった唯一のことだった。」下巻p.235

?へいばこうそう【兵馬倥偬】 戦争のためにいそがしいこと。
?けんどちょうらい【捲土重来】 (「ちょう」は「重」の漢音。「捲土」は土煙をまき上げること。勢いのものすごいさま)一度失敗した者が、再び勢力を盛り返して来ること。一度負けた者が勢力を盛り返して攻め寄せること。けんどじゅうらい。

《関連記事》
2007.3.10 ローマ人の物語 6・7 勝者の混迷
2006.11.25 ローマ人の物語 3・4・5 ハンニバル戦記
2006.5.26 ローマ人の物語 1・2 ローマは一日にして成らず
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水元虫(みずもとむし)

2007年06月19日 22時27分33秒 | 日記2005-10
 写真は学内掲示板で見つけた掲示。
水元虫の注意
話には聞いてましたが、実物写真を初めて見ました。あんまりお目にかかりたくないものです。なんとなく、水元虫=カメムシのイメージを持っていましたが、違ってた。
 地元じゃない人にはわからないでしょうが "水元(みずもと)" はこの界隈の地名(町名)です。その地名を名に冠するなんて、他ではあんまりいないのかな??
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【論】Ideker,2000,Testing for Differentially-Express~

2007年06月19日 20時01分18秒 | 論文記録
Trey Ideker, Vesteinn Thorsson, Andrew F. Siegel and Leroy E. Hood
Testing for Differentially-Expressed Genes by Maximum-Likelihood Analysis of DNA Microarray Data.
Journal of Computational Biology 7: 805-817 (2000).
[PDF][Web Site]

・Maximum-likelihood analysis を応用した遺伝子抽出法の提案。
・データ:Yeast、約6200遺伝子、cDNA

・方法「Here, we report a refined test for differentially expressed genes which does not rely on gene expression ratios but directly compares a series of repeated measurements of the two dye intensities for each gene.
・結果「However, due to the large number of genes involved in a typical experiment, we have demonstrated that a likelihood ratio test performed with only four samples per gene chooses differentially-expressed gene candidates that are in good agreement with other experimental evidence.

・やたらと読み取りづらく、内容がさっぱりわからない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【演】2007 第52回 市民音楽祭

2007年06月18日 22時09分23秒 | 演奏記録
2007 第52回 市民音楽祭 第2日 器楽
2007.6.17(日)13:00開演, 室蘭市文化センター, 入場料 500円
指揮 中山耕一, 演奏 室蘭ジュニアオーケストラ・室蘭工業大学管弦楽団, パート Viola

リヒャルト・ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲
ジャン・シベリウス 「カレリア」組曲より 行進曲風に

・室蘭近隣の音楽団体の発表会、器楽の部。昨年に続き二団体の合同演奏。
・演奏前に団体代表の挨拶。まずはジュニアのI君、小学生にしてはしっかりした立派な挨拶。続いて工大の団長U君。いけー!大学生らしいとこ見せてやれー! 途中、頭の中が白紙になったらしくしばしの沈黙。。。ウアアー!!
・カレリア:最近ジュニアオケと室蘭の大人オケの曲目がよく被ります。今回はパートが違う上に、弓も全然違って大混乱。あのリズムで昨日の今日だとさすがにきつい。全体的に大味な演奏になってしまった感あり。全員揃っての練習機会があまりもてなかったせいか。と、去年も同じようなこと書いていた。
・今年はリハ室に冷房が入り、窓を閉め切っても快適。椅子が足りず、一部は立ってリハーサル。
・出番がとっぱじめで、2時には片づけも終わり、残りはひさびさのフリータイム。天気もよかったので意味無くドライブして海へ行ったり[写真 うっすらと青森が]、山へいって鹿肉カツカレー食べたり(味についてはノーコメント)、家に帰って昼寝したり、と休日を満喫。
・客数約500名[目測]:他団体出演者と一般客半々くらい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カメラマン ~撮ったぜ823枚

2007年06月17日 23時44分13秒 | 日記2005-10
 皆様こんばんは。運動会開催を告げる花火が目覚ましでしたぴかりんです。

 昨日の学内イベントにて写真係を担当しました。今回は参加人数が多く、〆の集合写真は屋外にて、なんとカメラは三階の建物屋上から撮影。あとで確認してみると、半日ほどで撮った写真は総計823枚、容量にして約1.3GBありました。おかげで本日は足腰が筋肉痛です。
 これだけ撮っても最低限 "使える" 写真は数十枚、全体の十分の一程度でしょう。できるだけ無駄撃ちしないよう心がけてはいるのですが、それでもこの確度。難しいものですね。
 あああ。いろいろ考えているうちに深みにはまりそう。

《関連リンク》
■ 一部屋丸ごと「書の芸術」 室工大で学生が研究成果発表【室蘭民報 2007年6月17日(日)朝刊】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2007/06/17/20070617m_03.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【演】室蘭音楽協会市民オーケストラ 名曲コンサート

2007年06月17日 20時41分41秒 | 演奏記録
室蘭音楽協会市民オーケストラ 名曲コンサート
2007.6.16(土)18:30開演, 室蘭市市民会館, 入場料500円
指揮 立山拓平, パート 2nd Violin

【第1部】
シベリウス:カレリア組曲より「行進曲風に」
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
ビゼー:交響曲ハ短調より第3楽章
ビゼー:カルメン第1・2組曲より 1.前奏曲~アラゴネーズ、2.間奏曲、3.アルカラの竜騎兵、4.闘牛士、5.ハバネラ、6.闘牛士の歌、7.ジプシーの踊り
【第2部】
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
楽器紹介(弦楽器):バイオリン 花、ビオラ 主よ人の望みの喜びよ、チェロ・バス イエスタディ
エルガー:エニグマ変奏曲より「ニムロッド」
エルガー:「威風堂々」第1番
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
ベートーヴェン:交響曲第7番より第4楽章
アンコール1 バッハ:G線上のアリア
アンコール2 アンダーソン:ワルツィング・キャット

・毎度内容テンコ盛りの室蘭・名曲コンサート、今回で5回目になりました。今回も豊富なこの品揃え。しかも途中紆余曲折あり、曲目変更が重なって楽譜係としても一苦労。何の脈絡も無い曲目に見えますが、選曲委員によると今回から作曲家名ABC順で選曲していくとのことです。それに没後50年のシベリウスを加えて今回のプログラムになりました。
・学校での行事が重なってしまい、5時ごろリハもほとんど終わりのところから参加。当日リハ抜きでも何も感じず。ちったぁ緊張感持たないと。
・カレリア:開演前の舞台袖にて、某氏より「出だしのCisの音高めに! いっつも低い!!」 こう? 試しに弾くと、「低い!!」 じゃぁ、こう?? 「そりゃ高すぎ!!」 やんややんやと耳の鋭い方々からの鬼のツッコミ。他の団体では「うまい」とまではいかないけれど、どちらかというと「弾ける人」扱いなのですが、当団では完全に「ヘタクソ」キャラで通ってます。私が楽器をはじめた頃から知っている人方が多いせいでしょうね。そばで様子を見てたお手伝いの某氏のコメント「そんだけいつも言われてりゃ~そりゃ~うまくもなるわねェ~~」 まったくもって「ヘタクソ」とハッキリ言ってもらえるのはとっても幸せなことです♪ 本番、それはもう高くとりましたともさ。問題のCis。
(*´∀`*)フフフ
・ルーマニア:終わりの6・7曲、早い上に弓が難しい。
・ビゼー交響曲:なんでまたこんなマニアックな曲を?? 指揮者の曲解説によるとその昔、『道新○○(←失念)』というテレビだか、ラジオだかかの番組のテーマ曲だったそうです。私は全く知りませんが、会場にて「知っている方いますか?」との問いかけに、年配の方を中心に手がそこそこ上がってました。
・カルメン:演奏中、どこかの新聞屋さんがフラッシュ炊いて写真とってくれました。シャッター音までハッキリ聞こえてますよ~ カンベンしてね。飛び飛びの抜粋だったので、演奏曲を間違えないかちょっとドキドキしました。いや、変な間があったり、楽譜を突然めくられたりであちこち間違えあったのですけどね。しかし腐るほど演奏されてもなお、『聴衆を楽しませる』という意味ですばらしい曲を書くものだとビゼーの凄さをあらためて感じました。
・ルスラン:快速。最終音を待たず、聴衆より拍手。してやったり。
・楽器紹介:直前に突然組み込まれた(弦)楽器紹介。チェロ・バスはオイシイうえになんか長いし。ズルイ。
・ニムロッド:その昔、N響アワーでこの曲を聴きいたく感動し、当時室蘭オケを指揮していたA先生にフルスコアを貸してもらい、いつかどこかで演奏することを夢見てパート譜を自作していたのは私です。数年前、工大オケで演奏。そして今回、室蘭オケでも陽の目を見ることになりました。感無量。
・威風堂々:練習ではどうということもないのに、本番では何故か変に意識してしまう出だし。事故なく通過。
・エグモント:終結部、後から入るべき部分を思わず1stと一緒に弾きだしてしまいました。あちこちで1st、2nd、Vaと弾いてると各パートごっちゃになってしまいます。記憶に頼ると危険なのでひたすら楽譜に忠実に。
・ベト7:『のだめ』がらみの選曲。個人的にはこの曲が一番怖く、難しかった。
・G線:アンコールのくせにめちゃくちゃ練習回数が多かった。テンポが速く、チャカチャカした曲が多かったので、"耳" なおしに。指揮者、前のめりになって思わず譜面台に手をつく。譜面台なかったら指揮台から落ちてたなぁ。
・猫:"犬" パートはもう慣れたもの。
・今回強烈な "ブラボーおじさん" 現る。
・金管隊があまり目立たなかった。派手で輝かしい響き、に対して "溶ける" 音色の金管もこれはこれでアリかも、と思わせるバランスでした。
・密かにロビーコンサートを目論んでいたが、準備時間・人員・気力が足りず断念。12月の定演か来年の名曲コンサートには是非とも何かやりたいなと思います。
・プログラム曲目解説、エルガーの二曲担当。
・客数約400名[目測]:ほどよい座席の埋まり具合。休憩含め2時間を余裕で越える分量かという予測でしたが、2時間ぴったりくらいで終演。これだけの曲目なら満足していたただけたのではないかと思います。

《関連リンク》
■ 迫力の70人編成で名曲演奏 室蘭音楽協会市民オーケストラ【室蘭民報 2007年6月17日(日)朝刊】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2007/06/17/20070617m_04.html
フラッシュ炊いて下さったのはコチラ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス

2007年06月16日 22時28分38秒 | 読書記録2007
知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス, 佐々木正人, 講談社現代新書JEUNESSE 1335, 1996年
・タイトルを一読しただけでは内容がわかりずらいかと思いますが、人間を含む生物の新しい捉え方・考え方である『アフォーダンス』について、進化論でお馴染みのダーウィンの遺した生物の観察記録を例にとって解説したものです。と、こんな説明でもわかりずらいし、読んでみてもやっぱりわかりずらい。そんな少々特殊な概念について。
・分野は違えど、前出『考える脳 考えるコンピューター』と共通していると感じられる箇所が随所にあり。
・「生きるもののするあらゆることは、それだけ独立してあるわけではない。行為があるところには、かならず行為を取り囲むことがある。まわりがあって生きもののふるまいがある。」p.24
・「だからこの場合ミミズが一年間動き回ってかきまぜた土の量は1000トン!にもおよぶことになる。ミミズはどこでもダーウィンが予想した以上にすごい力で「大地をかきまぜている」。」p.35
・「ダーウィンは動物の行為を機械の動きにたとえることが大きらいだった。彼は自分の眼で、ミミズの動きが、いつも同じようにしか動かない機械の動きとはことなることを確かめることができた。」p.47
・「反射、概念にしたがう行為、試行錯誤。19世紀においてもすでに、行為についてはこれら三種の説明が代表的であった。その事情は残念ながら20世紀末の現在においてもほとんど変わっていない。だいたいこの三つの説明を使い分け、組み合わせてきたのが、行為の理論の歴史である。」p.53
・「ぼくら人間を含めてあらゆる動物がこの世界でしていることは、原理的にミミズの「穴ふさぎ」と同じである。人間もミミズもカブトムシも、いましている行為が利用できることをまわりに探し続けている。そういう存在なのだ。」p.59
・「ミミズが穴ふさぎに使ったこと、カブトムシが起き上がりに使ったこと、ぼくらがかくれんぼに使ったことは、こういうものですというふうに「絵」には描けない。それは発見されるまでどのようなことであるか予想できない。「反射」「試行錯誤」「概念」という既成の枠組みでは、行為だけにある創造性が説明できない。」p.60
・「その名前をジェームズ・ギブソン(1904-1979)という。彼はダーウィンが見ていたこと、つまり環境にあって行為が発見している意味にはじめて独特の名を与えた。  アフォーダンスである。  英語の動詞アフォード(afford)は「与える、提供する」などを意味する。ギブソンの造語アフォーダンス(affordance)は、「環境が動物に提供するもの、用意したり備えたりするもの」であり、それはぼくらを取り囲んでいるところに潜んでいる意味である。」p.61
・「生態心理学(エコロジカル・サイコロジー)の中心にあるアイディアは、エコロジカル・リアリズム(生態実在論)とよばれる。それは生きもののまわりに潜んでいる生きものにとっての意味をまず第一に考え、それを中心にして動物の知覚や行為について考えてみようという主張である。」p.63
・「アフォーダンスはフィジカルであり、バイオロジカルでもあり、サイコロジカルなことである。物であり、生きものに関係しており、そしてぼくらが「こころ」とよんでいる環境と行為との関わりのプロセスの中心にあることである。生態心理学をはじめることは、だから、物理学と生物学と心理学との間に今ある高い垣根を越えようとすることでもある。」p.64
・「脳とはおそらく、環境の「絵のようなイメージ」を浮かべるところではなくて、環境と持続して接触する全身のシステムの一部なのである。脳にあるのは世界の「地図」ではなくて、世界との関係を調整する働きの一部なのである。」p.116
・「生きている動くシステムはこのように環境によって予期的に制御されている。」p.119
・「結果から行為を説明することは、人類の歴史を「未開から文明への進歩である」と考えたり、動物のしていることやその形態に起こる変異を「ある目的に近づくためである」と考えたりすることに示されるように、変化の起こっているところに、そこにあること以外のもの、「意図」や「目的」や「方向」のようなことをもちこむことである。行為についての多くの説明は現在でもこの誤りを犯している。」p.142
・「おそらく20世紀の心理学は、19世紀にダーウィンが執拗な観察という実践で示した、発達ということをどのように見るべきかについてのメッセージをとらえそこねていた。だから見ることよりも、理論にもとづく議論が先行してしまう。  ダーウィンのメッセージはシンプルである。まず、あらゆる行為は、ギゼリンがブルート・ファクツとよんだこと、テーレンがイントリンジック・ダイナミクスとよんだことからはじまるということ。そしてブルート・ファクツはまわりにあることに出会い、多様なことが変化としてあらわれる。ぼくらが行為に観察できることは「はじまり」と「まわり」と「はじまりからの変化」しかない、ということである。」p.154
・「実際に生きものに見ることができるのは「はじまり」が「まわり」に出会って「変化」するということだけである。細胞からぼくらのつくる文明まで、発達には、はじまりと、まわりと、変化ということ以上のことも、それ以下のこともない。」p.155
・「変化のともなう由来から分離されないこととして、どこかに事前にあることではなく、あらわれてくることとして意図を再定義すればよい。その時に意図は誰か(神や脳)のものではなくて、あらわれてくるそのままのことを指す言葉になる。ありもしない変化の原因ではなく、変化のすごさそのものを指す言葉になれる。  ダーウィンがしようとしたことはこのこと、つまり変化が起こるシステムと意図とを分離しないことだった。」p.157
・「つまり行為をするということは、いつもどこかの「曲がり角」に差しかかり、角の向こうにあることを見る、というようなことなのである。」p.186
・「それにしてもアフォーダンスはわかりにくいし、わかってもらいにくい。」p.195
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メガネ、メガネ、、、

2007年06月15日 22時20分00秒 | 日記2005-10
 皆様こんばんは。朝目覚めたら布団がきれいに裏返しでした、ぴかりんです。

 職場にてふとメガネ[写真・上]を外すと、左の鼻パットがポロリと取れて床に落ちました。あわてて拾うも、それを取り付ける小ネジが無い! しばらく探すも見つからず、以前廃棄パソコンから抜いてあった小ネジを試すも径が合わず、あきらめて先代のメガネ[写真・下]を発掘し着用。慣れないメガネだと、歩くと視界がグラグラするし、階段は踏み外しそうになるしで散々でした。仕事が終り、いつもより慎重な運転でメガネ屋へ。
 メガネ屋では5分もかからずに調整終了し、ついでに店内のメガネを物色。最近は柄の太~いメガネが流行ってますね。今のメガネももう2~3年たったし、と、いろいろとっかえひっかえ試すうちに、御メガネにかなうメガネがあったので購入することに。当初のイメージではギラギラした銀縁メガネがよいかと思ってましたが実際試すと……ウ~ン…ハイカラスギ……、結局ちょっぴりイマドキで、あまり目立たぬ無難な黒っぽいものを選びました。
 気になるお値段は?? 『6万5千数百円です』 うぎゃー! 高けぇぇーー!! 前回は4万ぐらいだったのに。どうもあんまり割引できないフレームを選んでしまったようです。あまりの高さにレンズのグレードを落として値段を落とそうかどうしようかと考え、しばし無言でいたところ、『じゃあ6万円で』とのことなので交渉成立。なんだ、もうちょっとで5千円高い値段で買っちゃうところだったよ。それでも高いのには変わりないけれど。。。
 そんな訳で、小ネジもらいに行って、まんまと罠にはまり、衝動的にメガネを新調してしまいました。受け取りは6/21(木)。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】科学者と世界平和

2007年06月14日 22時10分44秒 | 読書記録2007
科学者と世界平和, (著)アルバート・アインシュタイン他 (訳)井上健, 中公文庫 B-1-25, 2002年
(OUT OF MY LATER YEARS by Albert Einstein, 1950)

・『科学者と世界平和』と『物理学と実在』の二編収録。どちらも難しく、正直言ってチンプンカンプン。
・「科学というものはすべて、日常の思考を洗練した以上のものではありません。」p.46
・「科学の目的は、第一に多様性を示す全体としての感官体験を可能なかぎり完全に概念を使って把握すること、およびそれらの間に連関をつけることであり、他方においては最小限度の一次概念と相互関係とを適用することによってこの目的を達成すること〔可能なかぎり、世界像における統一性、すなわちその基礎の論理的な簡単さを求めること〕にあります。」p.52
・「物理学の基礎概念を導きだしてくることができるような帰納的方法というものは存在しません。この事実を理解できなかったことが、十九世紀の大多数の研究者の根本的な哲学上の誤りをなすものでした。」p.78
・「一般相対性理論が狙いとした第一のものは、それ自身のなかで一つの閉じたものになるという要求を断念することによって、できるだけ簡単なやり方で「直接観測される事実」と結びつく可能性のありそうな一つの暫定的な考え方なのであります。」p.83
・「物理学は、進化の途上にある一つの理論的な思考の体系になっているものであり、その基礎はなんらかの帰納的方法を使って、われわれがそれに浸って生活している直接経験を蒸留していけば得られる、というものではありません。」p.108
・以下、解説(秋山仁)より「第一部の「科学者と世界平和」では、世界政府(世界を一つにした地球規模の政府)の必要性を提唱したアインシュタインの「国連総会への公開状」と、それにたいするソビエト連邦(ソ連、現在のロシア)の四人の著名な科学者の反論が収録されている。」p.127
・「第二部の「物理学と実在」では、二十世紀に入って著しい発展を遂げた量子力学にたいして、アインシュタイン独自の批判的な見解を披瀝している。」p.129
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする