魅惑のワインと出会う100の方法

デイリーからカルトワインまで、日々探し求めては飲んだくれているワイン屋のおはなし。

あれから42年-長崎大水害-当店の場合

2024年07月24日 | Weblog

昨日は7月23日。

 

1982年のこの日は夕方から土砂降りになり、発達した雨雲によりいわゆる「長崎大水害」となりました。

あちこちの当時の様子はネット上にも出ているかもしれませんが、当時の写真が出てきましたので、

当店の様子を簡単に記録しておきたいと思います。

 

 

当店の前の道路は「暗渠 あんきょ」となっていて、つまりは道の下には川が流れています。

その川が暗渠の中で氾濫を起こし、当店の数十メートル上で道路をめくれ上がり、地上に溢れてきたのです。

 

そのせいで道路が壊れどんどん、どんどん、どんどん水が押し寄せました。

そしてこんな状態となりました。(水害発生は7/23だが、写真は7/26)

道幅は現在よりもかなり狭いです。(右側が当店)

川の位置、カーブの関係もあり、当店の反対側にゴミが寄ってしまっています。

 

当店はウィンドーガラスも割れ、70~80㎝位浸水しました。

中では家族みんな大慌て!!!

 

翌日くらいにいったん水の退き際に撮った写真。

まだまだ水は流れています。

この洪水で車が1台流され、亡くなった命も。

 

 

当店の上の方から見た画像。(黄色っぽい旗のあたりがお店)

 

 

ついでに、あまりのことに佇む当時の私。(笑)

1時間当たり180mlを超え、ひと晩で600mlを超えるというとんでもない雨量!

死者、不明者299人という大災害となりました。

もちろん長崎市内各地で大氾濫&大混乱。救助の車さえ走れません。

もう自分たちで何とかするしかなかったのです。

亡くなった方やギリギリ危機を脱した方・・・いろいろです。

 

不幸中の幸いですが、私の家族に怪我人も出ず、その後いろんな方々のご支援を受けながら何とか復旧しましたが、

今となってはとんでもないショッキングな思い出です。

 

ただしその後、当店はワインセラーを導入、設置(もうこんな水害は来ないだろうと)、そしてぼちぼちと

全く売れもしないワインの販売へと方向性を位置付けたのでした。

 

 

大きな当店の危機は実はその前にもあって、私が生まれる以前です。

アメリカの原爆で何とかやられなかったことですね。雲の切れ間から原爆が落ちた場所が松山町だったこと。

もちろん当店にも爆風は吹いて、窓ガラスは割れたと聞いています。

雲間のたまたまのせいで、これが当初の投下予定の場所だったら多分当店はなく、私自身も生まれていません。

 

いろんな要因といろんな偶然、いろんな結果が現在を作っています。

戦争は人が作り出すので罪ですが、自然災害はどうしようもないものです。

こうして7/23のこの日、そして原爆の日8/9を心に刻んで、毎年思いを馳せています。

 

 

コメント (4)
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