↑月またぎの週で見開き2ページです。
アメリカに住む日本人の友人と、
週末にFaceTimeをしました。
電話とは違い、顔を見合わせてお喋りできるこの瞬間は、
家でその友人と会っているような錯覚にもなって、
とても不思議です。
いつお喋りをするかを、
メールでのやり取りをし、
こちらが「土曜日午前は大丈夫」と
金曜日夜に返信したら、
土曜日の午前、
iphoneの画面が「ぽわ〜〜ん」となり、
突然彼女の顔が!
時差は16時間。
向こうは金曜日の午後でした。
わたしの方は顔も洗わず、髪の毛も飛び飛びで、
普通だったら出られない状況ですが、
彼女だったら、まーいいか〜。
2時間くらい、
自分のこと、家族のこと、
アメリカのインフレーションの話、
日本の円安の話、
アジア情勢、世界情勢と話は広がる、広がる。
これは、日本に住んでいる人たちとはあまりしない会話かも。
彼女と話しているといつも、
日本的な考えの中にどっぷりいる自分に気付かされ、
違った方向からの視点を与えられます。
そんな中、
とても刺激的だったのは、
彼女が、
自分の通っている教会ではなく、
ちょっと自宅から離れた大きな教会でここ1年近く開かれている
聖書ヘブライ語の講座に通っているとの話。
もともと若い時に聖書ヘブライ語をきちんと勉強した彼女。
何十年かぶりにヘブライ語の文法のおさらいをし、
さらには旧約聖書の「ルツ記」をヘブライ語で読み通し、
今は「ヨナ記」を読み始めているとのこと。
すごいなあと。
実はわたしも若い時に
聖書ヘブライ語を少々勉強したことがあるのですが、
今は全く読めません。
文字を見ればヘブライ語であることはわかり、
読み方もわかりますが、
文法はすっかり忘れてますから。
どんな勉強なのか、
どんなノートでやっているのか、
手帳オタクなわたしは興味があって、
写真を送ってもらいましたので、
ちょっとここでご紹介。
ヘブライ語も珍しいでしょう〜。
ヘブライ語は、右側から読んでいくのです〜。
面白いなあと思ったのは、
もともと帰国子女だった彼女、
若い時、
聖書ヘブライ語を学んだのは日本ででしたが、
それを新しく学ぶ際に、
日本語を介さず、
直接、英語⇆聖書ヘブライ語で学べたことが大きかったらしいのです。
だからこそ、
しっかりヘブライ語の基礎を身につけることができたんだとか。
彼女としては日本語を介する方が、
難しいというのです。
ヘェ〜。
もうすぐ聖書ギリシャ語の講座も始まるらしく、
こちらも挑戦するとか。
こういう話って、
日々の生活のゴタゴタの話でなく、
全くそこから吹っ飛んだ趣味の領域の話で、
とっても面白いし、刺激的。
特に語学系は、わたしの得意分野では全くなく、
何年か前から「聖書ギリシャ語」の復習をしてますが、
遅々として進まず。
でも友人は、
そんなわたしの奮闘ぶりに刺激を受けたというから
何とも恥ずかしい・・・。
わたし自身は、
彼女の話を聞いたり、ノートを見たりして、
すごいなあ〜とか、
そんなのが分かって羨ましいなあ〜とか、
ただただ感心するばかり。
そういう、
自分には「なかなか突き詰められないものを突き詰めていく」
友人の能力を羨ましく感じてる。
こういうのも、
わたし的にはとてもいい感じなのです。
よく思うことですが、
いつも自分の生活の範囲で、
ちまちま動き、ちまちま考えて、
時にはドツボにハマるわたしも、
彼女とのFTで、パ〜〜ッと世界が広がり、
自分の生活を俯瞰できるのが本当にありがたいなと思います。
改めて、
遠くの人、違う世界に住む人と話すって大事だなと思いました。
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