さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ついに世界一周を成し遂げる ~マゼランと世界一周(14) 29

2010年01月25日 | ポルトガル

テージョ川のクルーズは、河口付近の「ベレンの塔」にやってきました。これは見物した「ジェロニモス修道院」や「発見のモニュメント」からは少し遠く、歩くのが大変そうなので見ていませんでした。だからここに船が30分程停泊するのでラッキーでした~。

司馬遼太郎は、この塔を女性的なものと感じ、日陰になった姿は「老いた貴婦人」と言い、陽がさした様子は「はじめて社交界に出るういういしい少女のよう」と表現しました。ちょっとどおかなぁ…(^益^;

この塔は、もちろん外敵から街を守る要塞として造られましたが、司馬が言うとおり、長い航海を終えて疲れきって帰ってきた船乗りたちを、暖かく迎えて安らぎと癒しを与える「母性」のようなものを持っているかもしれませんね。

ご覧の通り、この塔には登ることもできましたが、船が出るまでの時間は短かったのでやめておきました。

*↓このクルーズの様子を、ビデオクリップで是非ご覧下さい~(^^)w

http://www.youtube.com/user/sakichi21#p/a/u/0/dLoHiTHo-Zc

 

ついに世界一周を成し遂げる ~マゼランと世界一周(14

マゼランが率いた船団のうち最後の一隻、ビクトリア号は、デル・カーノの指揮のもと、香料諸島からポルトガルの目を避けながら、インド洋を通ってアフリカを回り、ボロボロになった船でスペインへ行かなければならなかった。

数ヶ月に及ぶこの旅に襲ってきたのは再び飢餓であった。船には7万ポンドの香料を満載しており、この価値は数百万人の人々が腹いっぱいに食べられるほどのものであったという。しかし灼熱の太陽の下、見渡す限り水平線の船の上では何の価値にもならない!

飢えと病気で、次々に死者が出た。しまいには船体に亀裂が走り、餓死と隣り合わせの乗組員たちは、必死に昼夜を通して不眠不休でポンプを動かし続けなければならなかった。最後に生き残ったのは47人のうち、なんと18人。出発時は265人だったのに。

そしてついについに、3年間の時を経て、人類は世界一周を成し遂げた。ピガフェッタはこの旅のあいだ一日も欠かさず記録をとり続けていたが、一日がなくなっていることに気がついた。船上では水曜日だと思っていたのに、陸では木曜日だったのだ。西へ西へと向ってゆけば、太陽に基づいた日付のカウントは遅れてしまう。一周で一日分だ。地球は宇宙に浮かんで自転していることがここに証明されたのである。

太陽が真上にあるときに、地球が回っているのと同じスピードで西へ向って飛行機で飛んでゆけば、いつまで経ってもお昼なのー。