夏のミラノは暑かった…_| ̄|〇 何せ夕方になっても温度計は37℃をさしていた。まさに灼熱地獄。夏でも涼しい英国からやってきたので、うだるような暑さに脳ミソが沸騰しそうだった。8月上旬にはどこの店も次々に閉まり始め、中旬にはすっかり街全体が夏休み長期休暇に入ってしまう。まるで日本の地方都市の駅前に見られるシャッター通りのようだw(゜゜)w
教会の壁画であるレオナルドの「最後の晩餐」や、美術館にあるマンテーニャの「死せるキリスト」などは見られたので(しかも空いてた♪)、立ち並ぶ有名ブランド店などには興味のないわたしはとりあえず目的を果たせたが、それにしてもレストランまで閉まってしまうのにはマイッタw
それでもミラノは大都市。ホテルは強気でどこも高い。大聖堂すぐ横のホテルに決めたが、この気温でクーラーがなひ!しかたなく窓を全開にする。それでも風通しが悪いためか、激しく暑い…。サラーニ、通りに面しているので車の音がうるさい。窓の真ん前にある向かいのネオンがビカビカとまぶしひ。それでもガマンできる!
大量の蚊さえいなければ… _|\O_
部屋中に蚊がいるんだぁー!こちらが意地になって継続的かつ無慈悲な大量虐殺を決行しても、やつらは次々にスクランブル波状攻撃をしかけてくる。個別対応では多勢に無勢、とても歯がたたない。やはりベープといった化学兵器が必要だと思ったが、ミラノには蚊取り線香もありゃしない。
しかたなく掛け布団を頭まですっかりひっかむる(といってもシーツが上にもう一枚だが)。この防御体勢なら蚊の空襲を防げるが、暑い…w とてもじゃないが、数分ともたない。しかたなく息をつくようにシーツをどかすと、とたんに蚊が襲ってくる…。
プ~~ン… という不快この上ない羽音とともに蚊の軍勢が襲いくる。完全降伏、生き血の略奪もされるがままになるしかなかった。

塔で有名なサンジミニャーノには、「スミレの聖女」の伝説が残っています。なにか可憐で素敵な雰囲気に聞こえますが、じつはとても厳しく悲惨なお話です…。
1238年、この街で生まれた娘フィーナは幼くして父を亡くし、10歳のころに病気になって、それから寝たきりの生活を送ります。まだ子供だというのに、病床で貧しい人々のために着物を縫ったりして過ごしました。
病気が進行して全く動けなくなると、粗末な板の上に寝て、キリストの苦しみに近づこうとします。 どうしてそーなるの…。 やがて母も死んでしまいました。 悲惨すぎるw
すっかり弱ってきた彼女に、ネズミが襲ってきます。シエナの聖カタリナには悪魔が訪れましたねェ。長い苦しみに耐えたのち、彼女は15歳という若さでこの世を去りました。
フィーナが亡くなったとき、教会の鐘が自然に鳴り出して、死体のまわりにはスミレの花が咲いたそうです。 死んでから花咲いても…w(゜゜)w
サンジミニャーノの教会にある「聖女フィーナの礼拝堂」には、彼女の絵がかかっていました。すっかり弱った様子でフィーナは板の上に横たわっており、隅にはネズミがおり、スミレも咲いています。人はいませんでしたが、写真を撮るのもいかがなものかと思い、こころのなかで手をあわせて教会をあとにしました。
サンジミニャーノには以前から行きたいと思っていたのですが、フィレンツェからバスを乗り継いでゆくという不便なこともあり、3回目のイタリア旅行でようやく訪れることができました。
このときは英国を一ヶ月ほど旅したあと(途中でアイルランドにも往復し)、ミラノに飛んでからフィレンツェにやってきて、それからサンジミニャーノにたどり着いたわけです。長い旅路を経て、とうとうここにもやってきたなあ、と思いつつフィーナの絵を見たわけですが、薄暗い礼拝堂で病床の聖女の絵を見るのもせいぜい数分だったか?
時間にしばられないひとり旅、何年も気になっていた絵をひと目見ようとはるばるやってきて、実現してみるとあっさりしたものだ。やはり旅というものは、夢みて準備をしているとき、そしてその体験を思い出しているときが人生のほとんどを占めている。これって恋愛と同じ。。。かな? (^益^;


以前からトスカーナ地方の小さな街、サンジミニャーノに行ってみたかった。ここもシエナと同様、中世の時代に通商路として栄えたコムーネ(自治都市)であった。今もその姿がほとんどそのまま残された、石造りの街だ。こういうところは、大きな博物館かテーマパークというより、過去へのリアルなタイム・トリップ体験をさせてくれる。これぞ旅の醍醐味よ(^益^)b
ここには沢山の石の塔が残っている。それはむかし家の勢いを示す、富の象徴だったのだ。田舎のこいのぼりみたいに、みなさん高く立派なやつを競って建てたというわけ。過去には数十本の塔が立ち並んだらしいが、その後戦禍や課税のおかげで、いまは十数本が残っているだけになった。
このときは同行していた友人らとフィレンツェで別れ、ひとりこの街を訪れた。田舎へのバスを乗り継がないと辿り着けない不便なところだ。見知らぬ小さな街の停車場で乗り換えバスを待っていると、とある中年女性が同じようにバス停にやってきた。ふと気がつくと、10mほど離れて立っている。なんかヤな感じだ。そのうち他の人々もチラホラやってきたが、みな離れて立ちやがる。ヨーロッパの田舎ではよくあるのだが、異人を嫌がるのですなあ。このイケメン好青年をつかまえて… ヽ(`益´)ノ
さて塔の街にやってきた。想像していた通り、静かで美しいところだ。さっそく昼メシを食おうと落ちついた食堂に入り、「黄金のワイン」と呼ばれるサンジミニャーノ産白ワインを注文する。これがしゃれた陶器の甕に入って出てくる。サラダとピッツァも旨く、機嫌はすっかり直った L(゜益゜L)♪
食後の散歩を始めると、爽やかな風に乗って美しい音色が聞こえてくる。とある宮殿の吹き抜けの片隅で、ハープを弾いている音楽師がいるのだ。暇そうな当地の少年らに交じってしばし聞き惚れる。
塔の立つ街の中心へ向う坂道を登ってゆくと、こんどはチェンバロの響きが流れてきた。見晴らしのよい坂道の道端で、オランダからやってきたチェンバロ弾きが演奏を行い、立ち止まる聴衆に自身の作品であるCDを売っているのだ。しばらく聞いていると、他に誰もいないので、その音楽家は話しかけてきた。旅から旅を続け、様々な国で街角演奏を行なっているらしい。小型とはいえ、チェンバロの移動は大変でしょうね。そやつの顔写真が写っているCDを買ってやると、嬉しそうに「サインをしてやる」と書き込んでいた。それは今も本棚のどこかに並んでいますよ^^

ハープの音色が聞こえる宮殿の片隅で

街の中心へ近づくと、塔が見えてきた^^ 手前のカポー、目ざわり!
さて、これはローマ・フィレンツェ間の長距離列車です。兵士がいましたねえw
イタリア人は、列をつくる習慣があまりありません。公共のマナーはかなり悪いです。だから列車の扉が開くと、降りてくる人の真ん中から、ゴリゴリ入っていこうとする人がいるし、別にまわりも怒っていない様子ですた。みんなお互い仲良く割り込みあう国なんです。
ローマで列車に乗ろうとしたとき、出発時間ギリギリにホームについたので、そこには人がワンサカいました。こりゃ座れないだろうねえ、と思っていたら、入ってきた列車の扉が、ピッタリと私の前に止まったのです。あっさり座ってしまいました(^益^)vソレデイイノダ
エゲレス人がいたりしたら (╬゜益゜)ピキッ とくるでしょうなあ^^;
さて「巨人の星」よりも見てブッ飛んだアニメは、「デビルマン」である…。だって「悪魔人間」ですよ。カトリックの総本山ヴァチカンのある国で、聖書を題材にしたヒーローもの、それが悪魔と合体した人間なんですよォー(ΦωΦ)キュピーンw
♪あぁ~~くまのちーからー、みィに~、つぅ~けたぁ~♪
♪せいぎのぉ~、ヒイ・ロォーー! デ・ビールマーン! デビル・マーーーン!!!♪
これって、いいんでせうか。。。
アニメとは若干内容が違っているようだが、原作を御紹介しましょう。
二百万年の眠りから醒めた悪魔族は、この美しい地球上にはびこる醜い人間共を滅ぼそうと考えていた。質朴な青年不動明は、その悪魔の策略をいち早く知り、自らの体を悪魔と合体してその能力を手に入れ、悪魔族と闘う決心をする。しかし人間は悪魔との闘いと恐怖の中で、次第に醜いその残酷な本性をさらけ出してゆく。不動明はそういった人間を救うことが「正義」であるのかと思い悩むが、愛する少女を助けるための個人的な感情から悪魔と闘い続ける決心をする。
悪魔の王サタンは、憎き人間である不動明を愛してしまうが、闘いをやめることはできなかった。むかし神は、自分の思いとはかけ離れた存在になったがゆえに悪魔を滅ぼそうとした。サタンは闘いのあと不動明の死体を前に、醜い人間を滅ぼそうとした自分の行為が、以前反発し闘いを挑んだ神の行為そのものであることに気がつくのであった。
この作品のなかで創造主である神は、人間と同じように、自分の思い通りにならない存在を認めずに抹殺してしまおうとする自己中心的な存在です。そこで「正義」の概念が相対化され、それはむしろ「強者の論理」であり、「エゴイズム」ではないだろうかという疑問が、悪魔によって提示されるのです。
このテーマはキリスト教を越えて、現在人間社会が直面しているのっぴきならない問題を暗示していますね。こんなアニメを放映するなんて、イタリアも懐が深いですよねえ。
ローマで歩き疲れた人がひとり…
ヨーロッパで放映されているアニメの3本に2本は日本製らしひ。たしかにどこでもよく見るし、ビデオ屋では、「MANGA」というコーナーがあったりする。マニアが増えているだけでなく、「かわいい」なんて日本語が普通の若者の間で使われだしている。「北斗の拳」の「わらば!」とか「ひでぷ!」といった言葉が飛び交う日も来るのであろうか。スペインでは「クレヨンしんちゃん」が大人気であり、あの下品なギャグは、ラテンの血に合っているのだろうなぁ、と思ったりしたものだ。
しかしイタリアでは、意外な作品を見た。まずは「巨人の星」だ。あの究極のスポコンものがヨーロッパで放映されるとは、思いもしなかった。しかも連日あさ7時からブチ抜きで2本…。
早朝から熱すぎるぜw
あのこぶしをきかせた軍歌調のテーマソングは、アップテンポの現代風になっていた。そして登場人物の名前も、なぜか西洋人になっていた(多くの場合、名前は日本名そのままである)。
星飛雄馬 → トミー・ヤング
伴宙太 → チャーリー
花形進 → アレクサンダー
オズマ → トーマス・ホプキンズ
というわけで、わたしが見たときは、オズマの話をやっていたのれす。イタリア語なのに、内容が全部わかってしまうのはナーゼ(^益^)v 究極の教育パパゴンである星一徹は、息子を鍛えるために巨人のライバル球団中日ドラゴンズのコーチになり、米国から才能あふれる黒人バッター、アームストロング・オズマを呼び寄せ、飛雄馬に挑戦させるのであった。(獅子は子供を鍛えるために崖から落とすとか、突然ライオンの映像が出たりするのだが^^;)
このオズマの生い立ちがすごい。スラム街でかっぱらいをやっているときの逃げ足のすごさをスカウトに発見され、なんと極貧の両親は契約金を積まれて幼い息子を球団に売り払ってしまうのである。
親に捨てられて屈折した少年オズマは、涙をふり払って「野球ロボット」の人生を歩んでゆく。
一方主人公の飛雄馬も、言ってみればオヤジの被害者だ。一徹は太平洋戦争で腕を負傷し、野球人生を絶たれた。その自分の夢を継がせるために(巨人の星になるんだ!)、息子に幼少の頃から恐ろしいほどのスパルタ方式で英才教育を授けて育てた(大リーグボール養成ギブスを思い出そう^^)。そんな飛雄馬は、自分が人生の選択肢を奪われた「野球人形」なのではないかと悩む。
飛雄馬はライバルのオズマと生い立ちの共通点を見い出して、自らの生き方の選択とアイデンティティに悩み苦しむことになる。
おれは親に決められた人生を歩んでいるだけなのか?
おれは本当に野球が好きなのか?
おれだって人並みの青春を楽しみたいんだぁー!!!
「飛雄馬」という名前は、「ヒューマニズム」から来ているそうである。このストイックな自己発見の物語は、クサくても大袈裟でも、人種や時代を超えて通じるテーマであるのかなぁ、と思ったりしたのであった。
イタリアで、毎朝見ましたよぉー。1時間~。早起きしてさ…
後日談まで見ました。オズマは帰国したのち大リーグで活躍するが、ヴェトナム戦争に徴兵されてしまい、現地で負傷して選手生命を絶たれてしまう。アジア人を虐殺するのに、黒人が前線にやられたのかー w(゜゜)w 「反戦」も重いテーマになっていますね。