続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『個人的価値』

2011-04-29 06:52:00 | 美術ノート
 マグリックの孤独・・・とでも表したい作品。

 グラス(酒)とマッチ(煙草)、櫛とシャボン(石鹸)、ひげをそるための泡ブラシ・・・成人男性の日常である。
 二つ並んだ枕の寝台は整然とメイキングされ、その上に巨大に見える櫛が乗っている。睡眠、或は性生活の拒否の暗示。
 洋服ダンスに映る空の雲。

 人の生活の基本である衣食住、衣(洋服ダンスに映る天空)食(グラスの向こうの天空)住(部屋を囲む壁紙の天空)・・・全ては天空に帰していくような作品の意図。
 存在というのは、人の生活に於いては地についたものをいう。重力圏に在るものの宿命、絶対法則でもある。

 しかし、マグリットはあえて空を描き、雲に浮遊するが如き日常を演出している。

 生きてはいるが、全ては虚無・・・空しさの中にある。描かれた大空・・・無限の中の部屋(閉塞)
 石鹸、櫛、グラスなど・・・真新しいというか、使われた形跡なく描かれたそれらの持つ意味。日常生活という密接な関係への距離感を感じてしまう。どこかで自分の日常に距離を置いて眺めている、傍観しているのではないか。
 わたくしの部屋(精神)はその日常に比して、極めて小さく空虚というか空想的であるという矛盾。生活が精神の大きさに合致しない、バランスの取れない精神状態を具現化しているように見える。

 個人的価値・・・価値というものは一般に存在するものに対する評価である。しかしマグリットはあえて虚無の中に、わたくしの価値(無意味の意味)が有ると告白しているのではないかと思う。

 マグリットの整然とした潔癖なまでの日常・・・しかし、二枚の絨毯のズレから垣間見える歪み。
 清々しい空虚とでも言うべきか・・・内実の吐露には静かな気迫がこもっている。たくさんの雲からは、苦悩、煩悩・・・形を留めないゆえの煩雑な心境がくみ取れる。
 そして雲は多いが白色であり暗色ではない・・・差し込む光なき明るさである。

「わたくしは宇宙の中で浮遊するような孤独(世間とは隔離された個人的な空間)を愛している」そう言っているような気がする。

Re『武蔵野』274。

2011-04-29 06:30:45 | 国木田独歩
(青梅)道となり、或は中原道となり、或は世田ヶ谷道となりて、郊外の林地田圃に(突入する処の)

 道或中原道或世田ヶ谷道郊外林地田圃

☆等しい惑いの注(解釈)は言(言葉)の導く枠(物事の一定の範囲、制限)に、予(わたくし)は多くの気(気持)を告げる。
 我意を洞(見通す、見抜く)考えは、概ね燐(鬼火、死者の魂)の智(物事を考える能力)を伝える簿(ノート)にある。