芽を出し、葉をつけ、花を咲かせる。大輪の花もあれば、はきだめ草など目立たない小さな花もある。世界に一つの花であるという自負はともかくとして、いずれ枯れていくという道理を外すものはない。
生まれたときから背負う宿命に逆らうことは不可能であり、その例に洩れる人は皆無である。
不可逆である有機物質としての順路は時の経過に寄り添い、人の姿を変えていく。
いつまでも・・・「永遠」は果てなき夢であり、願望という妄想の中にのみ息づいて人を鼓舞する。
けれど老いて感じるのは、人の精神は老化に協力せず、むしろ逆行の傾向さえ垣間見られる。鏡に映した老婆然としたわたしは老とは無縁の気持ちでいる。吹聴できないが明らかに精神は昔と変らない(錯覚かもしれないが)。
やがて枯れていく運命を理の当然として受け入れる覚悟は、とっくの昔についている。けれど、老婆然とした姿に相応しい衰弱した気分にはなれないのである。
確かに足腰弱り、「おばあちゃん、大丈夫?気をつけてね」などと声を掛けられる風情ではある。
「はい、はい、ありがとう。(ご親切に)」などと答えるとしても、気分はとてつもなく解放されていて愉快この上ない。
ただ、わたしは他人を刺激しないことを旨としているので、枯れたような微笑をもって、姿同様の精神を演技することを心得ている。なぜなら時間差こそあれ、本当に枯れていく日は、約束された事実であるらしいのだから。
理の当然・・・人はこの事実に逆らうことは出来ない。
生まれたときから背負う宿命に逆らうことは不可能であり、その例に洩れる人は皆無である。
不可逆である有機物質としての順路は時の経過に寄り添い、人の姿を変えていく。
いつまでも・・・「永遠」は果てなき夢であり、願望という妄想の中にのみ息づいて人を鼓舞する。
けれど老いて感じるのは、人の精神は老化に協力せず、むしろ逆行の傾向さえ垣間見られる。鏡に映した老婆然としたわたしは老とは無縁の気持ちでいる。吹聴できないが明らかに精神は昔と変らない(錯覚かもしれないが)。
やがて枯れていく運命を理の当然として受け入れる覚悟は、とっくの昔についている。けれど、老婆然とした姿に相応しい衰弱した気分にはなれないのである。
確かに足腰弱り、「おばあちゃん、大丈夫?気をつけてね」などと声を掛けられる風情ではある。
「はい、はい、ありがとう。(ご親切に)」などと答えるとしても、気分はとてつもなく解放されていて愉快この上ない。
ただ、わたしは他人を刺激しないことを旨としているので、枯れたような微笑をもって、姿同様の精神を演技することを心得ている。なぜなら時間差こそあれ、本当に枯れていく日は、約束された事実であるらしいのだから。
理の当然・・・人はこの事実に逆らうことは出来ない。