続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

立ちのぼる生命『宮崎進展』②

2014-05-04 17:07:48 | 美術ノート
 作品は壮大な空間を含有・表現しているが、作家個人の辛酸を嘗めた過酷な経験に基づく告白が原点である。戦時中、そして敗戦後の泥土の中国からシベリアへの抑留、捕虜としての過酷な労働、凍土の艱難・・・多くの戦友の死、亡骸の虚無、語らざるものの虚空は土に空に壁に溶解し、生きるものを突き動かす。流転の風は地上の空気を緊密にしている、そのエネルギーは滅することなく姿を変えて立ちのぼっていく。

 作品は時空を特定しないが、不変の真理として過去の事実に重なり合って共鳴している。

「お前(鑑賞者)に、分かるか? 」突きつけられた難問に、平和な時代を謳歌しているわたしは戸惑いを隠せない。
「地獄だよ、希望を絶たれ死の淵を歩いた者の血塗られた風景は重く苦しい混濁の暗闇であり、触れれば血膿の汚辱が遠くどこまでも混在している風景。
「戦争とは何だったのか・・・」心の中に溢れる壮絶な記憶。再生不可のぼろ布に衰弱した瀕死のイメージを被せ、その羅列をつなぎ、自然の猛威の如くの彩色を投げつける。作家の闘いは物理的にも重く悲哀に満ちた堅さは強固な反撃にも似た怒号を髣髴とさせる。

 
 地の骨、天の幻と化した戦友たちへの鎮魂であり、作家の胸に消えることのない、陰惨な歴史の風景である。

 物理的にも精神的にも重過ぎる作品群の前で言葉を失うが、このなかから「立ちのぼる生命」が必ずあると作家は太陽や花の存在に、大きく目を見開いて確信している。その一種傲慢とも思える強さが死線を彷徨った人の答えであれば、救済の意味に気づかされたといっても過言ではないかもしれない。人が抵抗する術もなく、崩壊を余儀なくされる不条理の世界への告発である。人は死ぬ間際まで救済を祈るのではないか。絶望と祈りの狭間で生きるわずかな亀裂から生命は再び立ちのぼるのだと信じなくては生きる意味を失ってしまうのだから。(『神奈川県立近代美術館/葉山』にて)

立ちのぼる生命『宮崎進展』

2014-05-04 06:40:29 | 美術ノート
 作品を前にすると、観ている自身がひどく小さくなっていくのを感じるほどに存在感がある。
 圧倒されるというより作品内部にうごめく混濁の魂が一つ二つ・・・増殖し、覆いかぶさってくるような幻想に襲われるせいかも知れない。

 籾山学芸員は第一室~第四室までそれぞれのコンセプトを説明して下さった。それぞれを周り気づいたのは部屋の空気感にいつもとは違う差異があることだったかもしれない。観賞という穏やかな姿勢を保てないほど鋭く痛く残酷非情、冷徹な眼差しがそこに息づいていたように思われたのである。
 死体の埋もれた大地、広大な泥土からは無念な怨念が大合唱しているようだし、花咲く大地、花の赤さには人間から搾り取った生血の暗黒(闇)がある。

 学芸員は「これら作品は抽象ではなく具象です」と、きっぱり。

「この作品に観られる大きな網目状のものは何だか分かりますか?」
「・・・」
「塗り重ねられた上部にある線ですから構図における下線ではまったくありません。そのための線状ならこんなに下部にまでは要らないでしょう。後の展示で証明されますが、これは鉄条網なのです。収容された鉄条網から彼が見た景色なのです」
 鉄条網の鋭さを消し(細い線だったり、テープだったりしている)、作品全体にそれを誇示することはない。むしろ気づかないほどである。ただ自身の記憶から消え去ることのない鉄条網・・・捕虜として明日をも約束されない隔絶を縦横の線に重ねたのだと思う。
 覚書のためのデッサンには確かに鉄条網が描かれていた。


 虚空を浮遊する鳥のような存在・・・地上の醜悪な戦いを俯瞰する眼差しで自身の記録、否、人類の記録としての証をたて、死んで逝った仲間への鎮魂としての静かな祈りを、怒号のような哀しみを織り交ぜて制作している。
 作家は地上の大地や花を心地よく美しい景色として描いていない。大量の兵士が溶解していった泥土あるいは凍土における魂の復活への執念を描いている。魂(生命)の巡廻(甦り)を祈りつつ、生死を彷徨した仲間の魂とともにこれら作品を出来うる限りの正確さをもって制作している。その告白吐露を、歴史をつなぐ者として、しっかり受け止めていく責務がある。

 宮崎進の作品には、死んで逝った兵士の無残な叫びの内包、大量の戦死者の重みに相当する深さがある。

 籾山先生、ありがとうございました。(神奈川県立近代美術館/葉山)

『ポラーノの広場』317。

2014-05-04 06:27:20 | 宮沢賢治
私はそれですっかり気分がよくなったのです。そして、どしどし階段を踏んで、通りに下りました。

 私はシと読んで、詞。
 気分はキ・ブンと読んで、記、文。
 階段はカイ・ダンと読んで、解、談。
 踏んではトウと読んで、禱。
 通りはツウと読んで、通。
 下りましたはカと読んで、加。

☆詞(ことば)を記した文の解(問題をとく)談(はなし)である。
 禱(神仏に祈る)の通(最初から最後までやりとおす)を加(その上に重ねている)

『城』1613。

2014-05-04 06:08:03 | カフカ覚書
灯りがつけられた。むろん、ランプの火をあまり大きくすることはできなかった。石油がすこししかなかったからである。新所帯には、まだいろいろと不如意なことがあった。

 ランプ/Lampe→Lapp/愚かな人間。

☆承知したようだった。とは言うものの愚かな人間に対し浮かれるわけにはいかなかった。予言者がわずかに巡察していたからである。
 新しく書かれた物には、まださまざまな欠如があった。