作品は壮大な空間を含有・表現しているが、作家個人の辛酸を嘗めた過酷な経験に基づく告白が原点である。戦時中、そして敗戦後の泥土の中国からシベリアへの抑留、捕虜としての過酷な労働、凍土の艱難・・・多くの戦友の死、亡骸の虚無、語らざるものの虚空は土に空に壁に溶解し、生きるものを突き動かす。流転の風は地上の空気を緊密にしている、そのエネルギーは滅することなく姿を変えて立ちのぼっていく。
作品は時空を特定しないが、不変の真理として過去の事実に重なり合って共鳴している。
「お前(鑑賞者)に、分かるか? 」突きつけられた難問に、平和な時代を謳歌しているわたしは戸惑いを隠せない。
「地獄だよ、希望を絶たれ死の淵を歩いた者の血塗られた風景は重く苦しい混濁の暗闇であり、触れれば血膿の汚辱が遠くどこまでも混在している風景。
「戦争とは何だったのか・・・」心の中に溢れる壮絶な記憶。再生不可のぼろ布に衰弱した瀕死のイメージを被せ、その羅列をつなぎ、自然の猛威の如くの彩色を投げつける。作家の闘いは物理的にも重く悲哀に満ちた堅さは強固な反撃にも似た怒号を髣髴とさせる。
地の骨、天の幻と化した戦友たちへの鎮魂であり、作家の胸に消えることのない、陰惨な歴史の風景である。
物理的にも精神的にも重過ぎる作品群の前で言葉を失うが、このなかから「立ちのぼる生命」が必ずあると作家は太陽や花の存在に、大きく目を見開いて確信している。その一種傲慢とも思える強さが死線を彷徨った人の答えであれば、救済の意味に気づかされたといっても過言ではないかもしれない。人が抵抗する術もなく、崩壊を余儀なくされる不条理の世界への告発である。人は死ぬ間際まで救済を祈るのではないか。絶望と祈りの狭間で生きるわずかな亀裂から生命は再び立ちのぼるのだと信じなくては生きる意味を失ってしまうのだから。(『神奈川県立近代美術館/葉山』にて)
作品は時空を特定しないが、不変の真理として過去の事実に重なり合って共鳴している。
「お前(鑑賞者)に、分かるか? 」突きつけられた難問に、平和な時代を謳歌しているわたしは戸惑いを隠せない。
「地獄だよ、希望を絶たれ死の淵を歩いた者の血塗られた風景は重く苦しい混濁の暗闇であり、触れれば血膿の汚辱が遠くどこまでも混在している風景。
「戦争とは何だったのか・・・」心の中に溢れる壮絶な記憶。再生不可のぼろ布に衰弱した瀕死のイメージを被せ、その羅列をつなぎ、自然の猛威の如くの彩色を投げつける。作家の闘いは物理的にも重く悲哀に満ちた堅さは強固な反撃にも似た怒号を髣髴とさせる。
地の骨、天の幻と化した戦友たちへの鎮魂であり、作家の胸に消えることのない、陰惨な歴史の風景である。
物理的にも精神的にも重過ぎる作品群の前で言葉を失うが、このなかから「立ちのぼる生命」が必ずあると作家は太陽や花の存在に、大きく目を見開いて確信している。その一種傲慢とも思える強さが死線を彷徨った人の答えであれば、救済の意味に気づかされたといっても過言ではないかもしれない。人が抵抗する術もなく、崩壊を余儀なくされる不条理の世界への告発である。人は死ぬ間際まで救済を祈るのではないか。絶望と祈りの狭間で生きるわずかな亀裂から生命は再び立ちのぼるのだと信じなくては生きる意味を失ってしまうのだから。(『神奈川県立近代美術館/葉山』にて)