続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

炬燵を片付ける。

2014-05-10 06:51:42 | 日常
 ひんやりした朝である。まだ少し暖房がほしいところ・・・。けれど昨日は、きれいさっぱり(?)炬燵を引き上げた。下のマットや上掛けのカバーを洗濯、風呂敷に包み収納・・・。

 子供が小さい頃、つまりわたしたちが若い頃には春休みと同時に炬燵は使用不可ときっぱり!つくづくあの頃は若かったんだなぁと思う、バリバリ動いていて炬燵になど入っている暇もなかったのだから。今は寒がりの夫のためにこんな時期まで炬燵を出しているけど、実はわたし自身も都合よく炬燵に入り浸って動きの鈍い生活に甘んじている。


 体力気力の減退、寒いって言ったって(シベリアはもっと寒いだろう)くらいの感覚で、ヘイチャラだった昔日。情けないほどの劣化、気合いで我慢するなどという健気さは薬にしたくもない状態。

 眼精疲労で目はかすみ、花粉症の影響で鼻水、咽喉の痛みは止まらない。もちろん膝痛もあるという悲惨な日常、せめて温かくして自分を労わろうという自分への慈悲。
(ああ、困難と闘おう)という意思がない、気力の欠如は著しい。
 他人思考、他力本願・・・自分というものが萎みかけている。(取り戻すのだ!)自分を追い立ててみるけれど、炬燵にしがみつき(もう疲れているのだ)とつぶやくだけ。


 しかし、今日からは、炬燵を引き上げた今日からは違うわたしがいる・・・はず。

 ・・・でも、
 忌野清志郎クンの歌に ♪炬燵を持っていかないでくれ、持っていくなら俺も一緒に持っていってくれ♪ って。

 やっぱり、炬燵はいいよね。
 深く考えることない。経済的で、温かくて、居眠りできる炬燵を愛しているかも。

『ポラーノの広場』323。

2014-05-10 06:43:52 | 宮沢賢治
「お髪はこの通りの型でよろしうございますか。」私が鏡の前の白いきれをかけた上等の椅子に座ったとき、そのうちの一人が私にたづねました。


☆発(明らかにする)二つの計(もくろみ)、詞(ことば)の教(神仏のおしえ)を全て吐く(言う)。
 照(あまねく光があたる=平等)を套う意(考え)である。
 死ぬと(命が終る)、座(星の集まり)になり、逸(隠れた)神になるという旨(考え)である。

『城』1619。

2014-05-10 06:16:38 | カフカ覚書
フリーダは、心配そうにKの様子を見ていた。彼女がどんなひどい部屋でもとにかく住めるようにしてみせることができるということは、すでに橋屋で証明ずみであった。しかし、ここではどうにも手のほどこしようがなかった。まるっきり無一文の身の上だったからである。


☆フリーダ(平和)は心配そうにKを見ていた。彼女は先祖のテーマや文字通りの悲惨さの意味に傷ついていた。ということはハロー(死の入り口)の仲介でも示されたことだった。しかしここではどうしようもないことだった。まったく手段のない身の上だったからである。