『すべてが沁みる大地』
麻布(ドンゴロス)の上を、蜜蝋・油絵の具で描くというより無作為に蔽っている作品。
「すべてが沁みる」と解説しているのだから、(そうなのか)と肯いて見るしかない。
すべてが風塵と化し、この地上に霧消していくという無常観は諦念だろうか。つまりは生きることへの冷めた達観である。
否定でも肯定でもない凸凹の粗いタッチ、あるがままと換言してもいいかもしれない。ここに具体的な意味は見出せない。
画面はあくまで黙し、標題がこの作品を支えている。
この地上(地球)に生きる人たち全てを無に帰している、無名性のみが地上の風に吹かれている光景、作家の心象風景。
しかし、この大地に足を踏んで立っている生命の存在(作品を観るものを含む作家自身)がある。混沌に道は見出せず、漠としてこの凍土あるいは泥土に尊厳を踏みにじられたまま埋められた死者たちの眠る大地を思うばかりである。
「すべてが沁みる大地」に眠る多くの屍の幻影、絶望の淵から立ちのぼる希望がないわけがないと『すべてが沁みる大地』を再生し、待っている。生きてある限り凝視している。
麻布(ドンゴロス)の上を、蜜蝋・油絵の具で描くというより無作為に蔽っている作品。
「すべてが沁みる」と解説しているのだから、(そうなのか)と肯いて見るしかない。
すべてが風塵と化し、この地上に霧消していくという無常観は諦念だろうか。つまりは生きることへの冷めた達観である。
否定でも肯定でもない凸凹の粗いタッチ、あるがままと換言してもいいかもしれない。ここに具体的な意味は見出せない。
画面はあくまで黙し、標題がこの作品を支えている。
この地上(地球)に生きる人たち全てを無に帰している、無名性のみが地上の風に吹かれている光景、作家の心象風景。
しかし、この大地に足を踏んで立っている生命の存在(作品を観るものを含む作家自身)がある。混沌に道は見出せず、漠としてこの凍土あるいは泥土に尊厳を踏みにじられたまま埋められた死者たちの眠る大地を思うばかりである。
「すべてが沁みる大地」に眠る多くの屍の幻影、絶望の淵から立ちのぼる希望がないわけがないと『すべてが沁みる大地』を再生し、待っている。生きてある限り凝視している。