続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

立ちのぼる生命『宮崎進展』⑤

2014-05-08 07:17:59 | 美術ノート
『すべてが沁みる大地』

 麻布(ドンゴロス)の上を、蜜蝋・油絵の具で描くというより無作為に蔽っている作品。
「すべてが沁みる」と解説しているのだから、(そうなのか)と肯いて見るしかない。

 すべてが風塵と化し、この地上に霧消していくという無常観は諦念だろうか。つまりは生きることへの冷めた達観である。

 否定でも肯定でもない凸凹の粗いタッチ、あるがままと換言してもいいかもしれない。ここに具体的な意味は見出せない。
 画面はあくまで黙し、標題がこの作品を支えている。

 この地上(地球)に生きる人たち全てを無に帰している、無名性のみが地上の風に吹かれている光景、作家の心象風景。

 しかし、この大地に足を踏んで立っている生命の存在(作品を観るものを含む作家自身)がある。混沌に道は見出せず、漠としてこの凍土あるいは泥土に尊厳を踏みにじられたまま埋められた死者たちの眠る大地を思うばかりである。

「すべてが沁みる大地」に眠る多くの屍の幻影、絶望の淵から立ちのぼる希望がないわけがないと『すべてが沁みる大地』を再生し、待っている。生きてある限り凝視している。

『ポラーノの広場』321。

2014-05-08 06:47:10 | 宮沢賢治
それは向側の鏡が、九枚も上手に継いであって、店がちょうど二倍の広さに見えるやうになって居り、糸杉やこめ栂の植木鉢がぞろっとならび、親方らしい隅のところで指図をしてゐる人の他に職人がみなで六人もゐたのです。


☆講(はなし)の則(きまり)は教(神仏のおしえ)を究(つきつめること)である。
 毎(そのたびごと)に、帖(書付)の趣(考え)を計(もくろんでいる)。
 転(うつりかわる)を重ねて図りごとの譜(物事を系統的に書き記したもの)である。
 媒(間に入って結合の仲介をする)の考えを兼ねた異(他とは違う)旨(こころざし)である。
 過(過去)の科(とが・過失)を拭う鬼(死者の魂)への罰がある。
 信(まこと)の法(仏の道)に遇(であう)詞(ことば)を吐く(言う)。
 塵(煩悩)に触れる途(みち)の謀(たくらみ)を認(見分ける)。

『城』1617。

2014-05-08 06:24:22 | カフカ覚書
ベッドでもあって、そこにもぐりこむことができれば、まだしも辛抱できよう。ところが、ベッドどころか、わらぶとんが一枚あるきりだった。わらぶとんには感心にもフリーダの毛織のひざ掛けがかぶせてあって、こざっぱりとしていたが、羽根ぶとんはなく、粗い、ごわごわした賭けぶとんが二枚あるだけであった。

 一枚/ein→ahn/先祖。
 二枚/zwei→zwang/強制、拘束。

☆祈りがあり、そこに逃げ込むことが出来れば、まだしも我慢ができるだろう。しかしながらこの点で死にいたることはなく、先祖は唯一、光になったと思われるが、まわりの悪意は平和をためらった。辛い反目はなかったが、拘束は隠蔽によるものと思われた。