ワークショップ・・・何を売るの?って感じだったけど、葉山の美術館でのワークショップに参加して以来かなりの数に応募している。面白いという感想より、自分自身を確認する作業に近い感覚である。
日常の平坦さに弾みをつけるという目的もあるかもしれないし、思いがけない出会いに身を投じる緊張感も魅力。
つまりは自分自身が実験材料でもあるワークショップ。
昨日も神奈川県立近代美術館/葉山で『ドンゴロス鳥を作る』というワークショップに参加。ドンゴロスというコーヒー豆などを梱包する麻袋の切れ端、もしくは作家/宮崎進氏の使用した残り布を利用して鳥のイメージを形作るというもの。(布は漂白したり染め付けたり油絵の具で着色されて、美しいというよりは汚したものである)
夏日と予想されたとおりの晴天の下、館庭でのワークショップ。
予め土台は作ってあり、それに細い木や布を撒きつけたり被せたりして『鳥』のイメージを固めて行くという作業。心地よい海風に包まれての至福。
それぞれ制作に没頭して賑やかな中、ただボケッとしていたわたし。それでも何となく出来上がって浜辺へ移動、みんな並べて写真撮影。
何かを作る、形にする、イメージする、現れるものはみな予想外あるいは裏切り・・・反転の意外性。時間の経過と共に矯正されていく自己の観念の勝利は、平凡な通念に堕していく傾向がある。その手前、すでにそうなってしまったことを認めながら手を引く。鳥に眼らしきを添付した時点でカーンと終了のゴングが脳内に響いた。(女神が失笑している)
《楽しんだんだから、いいじゃないの》という肯定、自己の庇護。
仲田智先生ご指導の下のワークショップ楽しかったです。ありがとうございました。(一つしかない帽子を貸してくださった関係者の方、申し訳ありませんでした。)
日常の平坦さに弾みをつけるという目的もあるかもしれないし、思いがけない出会いに身を投じる緊張感も魅力。
つまりは自分自身が実験材料でもあるワークショップ。
昨日も神奈川県立近代美術館/葉山で『ドンゴロス鳥を作る』というワークショップに参加。ドンゴロスというコーヒー豆などを梱包する麻袋の切れ端、もしくは作家/宮崎進氏の使用した残り布を利用して鳥のイメージを形作るというもの。(布は漂白したり染め付けたり油絵の具で着色されて、美しいというよりは汚したものである)
夏日と予想されたとおりの晴天の下、館庭でのワークショップ。
予め土台は作ってあり、それに細い木や布を撒きつけたり被せたりして『鳥』のイメージを固めて行くという作業。心地よい海風に包まれての至福。
それぞれ制作に没頭して賑やかな中、ただボケッとしていたわたし。それでも何となく出来上がって浜辺へ移動、みんな並べて写真撮影。
何かを作る、形にする、イメージする、現れるものはみな予想外あるいは裏切り・・・反転の意外性。時間の経過と共に矯正されていく自己の観念の勝利は、平凡な通念に堕していく傾向がある。その手前、すでにそうなってしまったことを認めながら手を引く。鳥に眼らしきを添付した時点でカーンと終了のゴングが脳内に響いた。(女神が失笑している)
《楽しんだんだから、いいじゃないの》という肯定、自己の庇護。
仲田智先生ご指導の下のワークショップ楽しかったです。ありがとうございました。(一つしかない帽子を貸してくださった関係者の方、申し訳ありませんでした。)