FUさんは75才、元気に闊歩している。定年後も介護の仕事で飛び回り、今も、買い物支援で毎日出かけている。
そんな快活なFUさん、
「元気でもないの、空元気・・・。小さい頃から病気がち、腫れ物がしょっちゅう出来て膿みを出しに医院通い、それから盲腸、胃の全摘手術・・・いろいろ病気をしたわ、それでもずっと仕事だけは辞めずに働き続けたの。最近は一人暮らしで呑気にしていたんだけど・・・見ての通り、息子の嫁さんが病気なもんだから、最初は孫が一人やって来て、そのうち三人ともが居候。そうして息子まで・・・玄関も靴で溢れているわ。
今の子って何もしないの。今日なんか洗濯を三回もしたわ、くたくたよ。仕事をして遅くなってもご飯を待っているのよ」と、こぼした。
FUさん、母親を助け、早くに働きに出て何でもやり、病気を押してどんな苦労も厭わなかったのに・・・苦労の方が押し寄せてくる。
FUさん宅を訪ねた時、お孫さんに「いる?」と聞いたら「おばあちゃんはまだ帰りません」と言われ、まあ、そのうちと再び訪ねたら「いるけど、寝ています」と言うので、引きかえした。
年中忙しく留守がちなので、その日の夕刻、再び訪問。それでこの話、長々一時間も続いたけれど、彼女の表情に快活さが戻ることはなくいかにも憔悴仕切った感じ。
明るかった景色も7時を回り、あたりは薄暗闇・・・。
元気に見えても人は次第に老いていく。
わたしも老いて劣化の一途・・・淋しい夕暮れである。
(もう少し、もうすこし・・・)もう、少ししか残っていない時間。
踏ん張れるだけ頑張ることが幸福か、「もういいよ」と声を掛けられることが幸いか、どちらにしても、生きている限り(甘えは捨てなければ)と心している。
痛みに耐えることが、即ち生きている証しかもしれない。痛みを肯定してしまえば、むしろ気楽である。
そんな快活なFUさん、
「元気でもないの、空元気・・・。小さい頃から病気がち、腫れ物がしょっちゅう出来て膿みを出しに医院通い、それから盲腸、胃の全摘手術・・・いろいろ病気をしたわ、それでもずっと仕事だけは辞めずに働き続けたの。最近は一人暮らしで呑気にしていたんだけど・・・見ての通り、息子の嫁さんが病気なもんだから、最初は孫が一人やって来て、そのうち三人ともが居候。そうして息子まで・・・玄関も靴で溢れているわ。
今の子って何もしないの。今日なんか洗濯を三回もしたわ、くたくたよ。仕事をして遅くなってもご飯を待っているのよ」と、こぼした。
FUさん、母親を助け、早くに働きに出て何でもやり、病気を押してどんな苦労も厭わなかったのに・・・苦労の方が押し寄せてくる。
FUさん宅を訪ねた時、お孫さんに「いる?」と聞いたら「おばあちゃんはまだ帰りません」と言われ、まあ、そのうちと再び訪ねたら「いるけど、寝ています」と言うので、引きかえした。
年中忙しく留守がちなので、その日の夕刻、再び訪問。それでこの話、長々一時間も続いたけれど、彼女の表情に快活さが戻ることはなくいかにも憔悴仕切った感じ。
明るかった景色も7時を回り、あたりは薄暗闇・・・。
元気に見えても人は次第に老いていく。
わたしも老いて劣化の一途・・・淋しい夕暮れである。
(もう少し、もうすこし・・・)もう、少ししか残っていない時間。
踏ん張れるだけ頑張ることが幸福か、「もういいよ」と声を掛けられることが幸いか、どちらにしても、生きている限り(甘えは捨てなければ)と心している。
痛みに耐えることが、即ち生きている証しかもしれない。痛みを肯定してしまえば、むしろ気楽である。