続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

雨・・・。

2014-05-15 07:00:25 | 日常
 予報通りの雨の朝、今日の植物観察会はお流れになってしまった。
 こんなことなら、昨日の「歩こう会」をパスするんじゃなかったと、よぎる後悔。

 後悔しないように、できる事を一つづつ潰していく。そんな感覚でいろんなイベントに参加させてもらっている。(わたしに明日はない)という崖っぷちを歩いている昨今、何かにすがるようにイベント参加を希望している。


 要するに、自主性の欠如である。自分がこれをしよう!という明確なプラン、構図が描けない。何かの拍子に・・・犬も歩けば棒に当たる・・・そんなふうに風に吹かれるままを愉しんでいる。
 もちろん《それでいいのか?》という反問にも悩まされている。

 勾配のきつい滑り台を落ちていくほどに猶予がないわたしの残り時間。
(なにもしないよりはマシ)という自嘲。
 自分が自分であるための湧き上がるような感動が希薄で、何かに頼らざるを得ないのである。


 雨・・・雨の日は家事労働も休止状態、頬杖ついて机上の空論、妄想にのってぼんやり一日をやり過ごす。それでいけないわけがどこにある?立派にひねくれた年寄りの言い分である独り言。

 雨の日の空想はいいなあ、薄ぼんやりと不幸続きの人生を振り返り、慰めてみるのも一興。植物観察会中止の無念を、今日の日が雨で本当に良かったと思える一日に塗り替えてみたい。・・・してみると、結構前向きなわたし?(笑)

『ポラーノの広場』338。

2014-05-15 06:45:32 | 宮沢賢治
「うん。僕もさう思ふね。」も一人も同意しました。私の係りのアーティストがおれもさうおもってゐたといふやうにうなづいて、私に云ひました。


☆僕(わたくし)の旨(考え)が逸(かくれている)図りごとである。
 導く異なる詞(ことば)の糸(つながり)は、試みの薀(奥義)である。

『城』1624。

2014-05-15 06:23:07 | カフカ覚書
しかも、バルナバスに言いつけたときのようにくりかえしたのではなく、その文句がクラムのまえで述べられるときのことを想像しながら反復したのである。

 バルナバス/Barnabas→Bar/熊(座)、nabel/へそ、中心。
 クラム/Klamm→klan/氏族。

☆バルナバス(北極星の化身)に委ねたときのようではなく、クラム(氏族)の前で信念をもって考えていたからである。