続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

立ちのぼる生命『宮崎進展』④

2014-05-07 06:59:18 | 美術ノート
『絶望』 

 この作家の描く人体は、戦争体験が原点にあるとすれば並べて男であることが前提なのかもしれない。それらは明らかに人体として描かれているにも関わらず浮遊している。飛んでいるというのではない、人として立ってはいるが重力の法則にしたがっていないのである。
 直立不動の姿勢である、並列しているようでもある、束縛・捕縛の暗澹さが漂う画面には自由・解放・平和の日差しが見えない。人が無機的に人の形で立っている不気味さ。もはや慟哭の叫びも尽き果て、人としての礼節思慮は消えうせている。ただ生きて(あるいはすでに死に果て)亡霊のように命じられるままに人の形をして並列している。周囲は暗黒の閉塞であり、差し伸べられる手はすでに冷たい死への誘いがあるばかり・・・。


『横たわる』

 臀部と背中が床(地面)に付いている、即ち倒れていると思われる人体が膝下を失った両足を上げている。手も頭部もない人と思われる物体。倒れこんでいるようにも見えるが、起き上がろうとしているようにも見える。
 人であればこそ、うごめく精神の葛藤、消滅してもなお立ち上がろうとする気炎。凄まじいばかりの生命力が潜んでいる。(明らかにエネルギーの片鱗は兆している)
 辛うじて人としての形を留めた物体の静かなる怒号、学芸員は「これは赤ん坊です」と説明したが、何か滅した後の怨念、あるいは新生の魂といった気迫がこの塊の中に潜んでいる気がしてならない。
 肉体を失った後の魂の再生、不条理ということへの静かなる反発、反逆の精神を垣間見てしまうのである。

 過重量にさえ見える大きな物体は空洞であることにより精神の剥奪、抜け殻を思わせる。そして引きちぎられたような惨状を呈した手足首の切断面は残酷さを物語っている。人が人の形態を失っていくプロセスには耐え難い痛みと屈辱の恐怖があるが、この物体は、(人としての尊厳を)取り戻そうとするかのようなエネルギーを秘めている。(両足を上げたままの死体は存在しない)


『頭部』

 焼けた木片の塊に過ぎない物体、しかし内部の空洞には人為的作為がある。『頭部』と名づけられなければ意味不明なこのものは、鉄板に乗せられて在る。生々しさは微塵もないが、空虚が漂う。具体的に目鼻口がついているわけでもない頭部をぐるりと見下ろすと、微かに動きの気配を感じ、たじろいでしまう。この物には立ち上がろうとする微妙なベクトルがある。
 無作為に見えて、内部にエネルギーを溜め込み、今しも何かを訴えようとするかの烈しい空気を感じる。決して動くことない作品であるにもかかわらず、近づいたり触ったりできるような親しみがない。凝視すると一歩退かなくてはならないような殺気ともいえる空気感を醸し出している、奇妙な反発のエネルギーである。

『ポラーノの広場』320。

2014-05-07 06:42:06 | 宮沢賢治
また並木のやなぎにはいちいち石油ランプがぶらさがってゐたのです。私は一軒の床屋に入りました。

 並木はヘイ・モクと読んで、閉、黙。
 石油はシャク・ユと読んで、釈、諭。
 私はシと読んで、詞。
 一軒はイツ・ケンと読んで、溢・兼。
 床屋はショウ・オクと読んで、章、憶。
 入りましたはニュウと読んで、New/新しい。

☆閉(隠して)黙っているが、釈(意味を解き明かし)諭(教え導く)詞(言葉)が溢れている。
 兼ねた章(文章)に憶(想いをめぐらせる)のは新しい。

『城』1616。

2014-05-07 06:12:18 | カフカ覚書
物置には薪がたくさん貯蔵してあったが、錠がかかっていて、鍵は教師がもっているのだった。そして、授業中に教室を煖房するためにしか、魔木をとりだすことを許さなかった。


☆なるほど先祖のいる広い冥土には突き動かされるものがあったが、その衝動は失われており、暗号のような戒めがあった。そしてそれを教える状況は噂の中にのみ許されていた。