《いかに生きるべきか》は潜在的な指針だった。けれど、最近では《いかに死すべきか》に入れ替わっている。何をするにも基準は「死/Xデイ」にある。
総ては、より良く満足に死んでいくためにかかっている。
以前は自分の向上心に基点があったのに、今では、来世で待っている人たちの反応が気になって仕方がない。自分自身はカヤの外、賢治やカフカ、独歩やマグリットなどのご機嫌である。
「あれでよかったの?」
「足りないけどね」などと言いながら、笑いあう妄想・・・(おかしいよね)現世の人には殆どまともに相手にされないような仕事をしている。仕事というより趣味、きわめて個人的な繰言に時間を費やしている。
「こんなこと考えているの」などとは決して言えないような作業である。(罰せられることもないだろう)というほどの消極的な気持ちを、ブログに載せている。
「毎日(仕事もしないで)何をしているの?」と、聞かれることがある。
食べ放題、運動能力ゼロの日常。怠慢は火を見るより明らか・・・だらしなくボォーッとしている人の印象かもしれない。取り得といえば《無害》であることくらい。
「毎日暇で退屈」などと応えると「それならカラオケに」と誘われるので、うっかり暇だとも言えない。
「表と裏の仕事で、毎日手一杯なの」とも言えない。というか、言う必要のない、誰から見てもすでに黄昏生活のど真ん中にいる。こんな報告は失笑を買うだけの戯言に過ぎないかもしれない。
*「あれでよかったの?」という言葉、おれおれ詐欺にかかった後、改めて息子に電話して「お母さんありがとう」を期待する。もちろん返事は「何言ってるの?」
驚愕の落胆地獄・・・。
「あれでよかったの?」と、お伺いを立てるわたしに、落胆の驚愕が待っているかもしれないけれど、「いいの」と自分を肯定するよりほか術はない。
総ては、より良く満足に死んでいくためにかかっている。
以前は自分の向上心に基点があったのに、今では、来世で待っている人たちの反応が気になって仕方がない。自分自身はカヤの外、賢治やカフカ、独歩やマグリットなどのご機嫌である。
「あれでよかったの?」
「足りないけどね」などと言いながら、笑いあう妄想・・・(おかしいよね)現世の人には殆どまともに相手にされないような仕事をしている。仕事というより趣味、きわめて個人的な繰言に時間を費やしている。
「こんなこと考えているの」などとは決して言えないような作業である。(罰せられることもないだろう)というほどの消極的な気持ちを、ブログに載せている。
「毎日(仕事もしないで)何をしているの?」と、聞かれることがある。
食べ放題、運動能力ゼロの日常。怠慢は火を見るより明らか・・・だらしなくボォーッとしている人の印象かもしれない。取り得といえば《無害》であることくらい。
「毎日暇で退屈」などと応えると「それならカラオケに」と誘われるので、うっかり暇だとも言えない。
「表と裏の仕事で、毎日手一杯なの」とも言えない。というか、言う必要のない、誰から見てもすでに黄昏生活のど真ん中にいる。こんな報告は失笑を買うだけの戯言に過ぎないかもしれない。
*「あれでよかったの?」という言葉、おれおれ詐欺にかかった後、改めて息子に電話して「お母さんありがとう」を期待する。もちろん返事は「何言ってるの?」
驚愕の落胆地獄・・・。
「あれでよかったの?」と、お伺いを立てるわたしに、落胆の驚愕が待っているかもしれないけれど、「いいの」と自分を肯定するよりほか術はない。