続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ああ、疲れた!

2014-05-31 06:53:20 | 日常
 空飛ぶ鳥は口が利けない、と言うか人間に通じる言葉を持たないので意志の疎通は殆どなく、ただ人間を警戒するばかりである。


 でも初めては大変疲れる、それは人間も鳥も同じことらしい。
 初めての飛行訓練・・・ツバメの一家は爽やかに空に円を描きあちらかと思えばこちら、こちらかと思えばずっと向こうの彼方にという風に飛び回っていた。

 でも、でも・・・夕刻になると疲れたのか、我家の窓辺に数羽が並んで休憩(?)その様子をずっと見ていたわたし。
《そうだ、カメラに収めよう》としたら準備している間に去っていってしまった。なのに、そのなかで一羽だけはよほど疲れたのかカメラを向けても動かない。甘ったれで《どうでもいいわ》という感じ。


 以前、「今朝、ツバメが巣を離れたわ」と言ったら「じゃ、もう帰らないわね」と言われた。その言葉通り、その年は二度と姿を見せることはなかった。それがツバメの習性だと淋しいながら悟ったのに、隣家に来るツバメ、何度でも戻ってくる。今朝も隣り家から飛び出すのを目撃、それどころか去年など三回も雛を孵していたので三月末から七月まで途切れることなく糞の後片付けに追われていた様子。


 ツバメの習性って変化するの?
 よく分からないけど、人に懐かないくせに人家に巣を作るツバメ。
 友人の家ではツバメが玄関の中に巣を作ったので、「出かけるときにも開けっ放しよ」と、笑ったことがある。

 雲を見て、鳥を見て、野草を見て・・・ボォーッしているわたし。

『ポラーノの広場』353。

2014-05-31 06:41:32 | 宮沢賢治
こんなことになったんぢゃ、まるで向ふの感情を害するばかりだ。きさまの店を訴へるぞ。」と云ひなから、ずんずん腫れて行く頬を鏡で見てゐました。親方もむかっ腹を立てて云ひました。


☆講(話)を換(入れかえる)のは常なる我意である。
 転(まわる)組(くみ合わせ)の運(めぐりあわせ)である。
 釈(意味を明らかにする)考えは、胸(心の中)にある教(神仏のおしえ)である。
 現われる真(まこと)の法(仏の教え)には、福(さいわい)を流(広める)薀(奥義)がある。

『城』1639。

2014-05-31 06:27:36 | カフカ覚書
ーそこまで言うと、フリーダは、Kのほうににじり寄ってきて、彼の肩に顔を隠し、その格好のままで話をつづけた。Kは、聞きとりにくいので、フリーダのほうに身をかがめなくてはならなかった。


☆彼女はKにより近づき幽霊の罪過を隠した。来世の伝説は聞きとるのが難しく曲解せざるを得なかった。