人が立っている。
その前に草原もしくは高台(丘)があり、その後ろには、牛や農機具らしきものがある。
この任意の人物からは牛などの光景が見えないのは、高台(山もしくは壮大な時間)に遮られているからである。
『雰囲気』と題されたこの作品の提示する光景。
現在地から遥か遠い過去を垣間見ようとしている人物の所有するものは視覚・聴覚・知覚であり、歩くことも触ることも出来ない隔絶された世界を想定しているに過ぎない。
農耕の昔日への想い。
確かにこの土地(高台・草原)の中に眠っているであろうルーツの暮らし。薄紙のごとく重ねられた時間の果てに立っている人という存在。
任意の場所で任意の人物が、この昔日と変わらないであろう大気(空気)の中で、この地表面(地殻)を共有したであろう過去の暮らしに想いを馳せている。
光・草木・山の自然に潜む過去(古代)への郷愁を、気配として感じている。物証のない『雰囲気』を具現化した作品だと思う。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山 『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)