続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『風景の魅惑』

2015-12-29 07:12:26 | 美術ノート

 『風景の魅惑』
 魅惑されるべき風景がない。風景という固定観念を打ち消しているのだろうか。

 額縁の中に描かれた風景を見る、切り取られた風景が額縁の中に納められる。慣習化されたそれらの組み合わせを鑑賞者は期待する。
 しかし何も描かれていないどころか、貫通する空虚は、有るはずのものが無いという状態である。しかも、『風景』と題しているにもかかわらず、額縁の中に在るはずの風景が見当たらないという落胆は、見る者に不信を抱かせてしまう。
 違えた約束・・・こうあるべき約束の欠如。
 傍らの鉄砲は何を意味するのだろう、遠く狙いを定め撃破する…破壊のエネルギーを想起させるモチーフである。立てかけてある赤い壁、赤色は危険の暗示なのか、あるいは何かを打破する闘志なのだろうか。

 額縁は、強い主張や意志があるかのように、支えもなく立っている。背後の黒に近い暗緑色は、壁と見まがうように描かれてはいるが幻の時空ではないか。

 鑑賞者は額縁の中に風景を探すが、この作品全体が魅惑の要素を内包した静かなる危機を描いている。

 有り得ない状況を、あり得るように描いている魅惑。風景と命名された額縁の中に至極当然に風景を探す眼差しの否定。眼差しは額縁を通過し暗澹を覗き見る。明らかに空無であるが、個人的には過去や未来を思い描くこともあるかもしれない。
 大いに楽しむべき歓喜は描かれていないが、自由に想起することは可能である。

 文字(言葉)は、現象(光景)を喚起させるが、実態はない。
 たとえば「風景」と書かれていれば「風景」を期待する脳の仕組みは、単にデーターの集積による観念に過ぎない。
 鑑賞者の眼差しを問う作品であり、眼差しと思考との接点が介在している。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』183。

2015-12-29 06:32:21 | 宮沢賢治

いま川の流れてゐるとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしてゐたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまへ。ていねいに鑿でやってくれたまへ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」


☆千(たくさん)の縷(連なる糸)の縁(つながり)を推しはかる記である。
  隠れた策(くわだて)の語(ことば)を千(たくさん)組みあわせ、釈(意味を解き明かすこと)を拠りどころにしている。


『城」2188。

2015-12-29 06:18:35 | カフカ覚書

もっとも、いつまでもおなじ本のところに立っているわけではありません。しかし、それは、本をとりかえっこするのではなくて、席を交替するんです。バルナバスがいちばん感心するのは、席を交替するときにお役人たちがたがいにからだを押しつけあいながら移動する光景だそうです。ほかでもありません。場所が狭いためです。


☆それにもかかわらず、いつも同じ本のままではありません。驚くべきことにバルナバス(生死の転換点)は、交換するのでもなく本を区別するのでもありません。互に位置を交替し、通りすがりに押していくそうです。狭義の空間に関してですが。