続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『飛葉と振動』

2015-12-26 07:07:26 | 美術ノート

 『飛葉と振動』
 《林立する不特定の棒状のもの》に対峙する《身体を被われた足先と頭部だけの男(自身)》が台座(エリア)の中に在るだけである。

 飛葉というからにはこの棒状のものは樹木であるらしい。飛葉はすでに樹木を離れ、地上に散逸、あるいは大地に吸収・同化されているのだろうか。
 飛葉という詩情あふれる言葉は哀しい。生命を断ち切られた死を免れない時間帯の産物である。死の瞬間を長く引き伸ばしたものと言ってもいいかもしれない。明らかに不可逆の時空に存在するものである。

 自分は視覚・聴覚でそれを認識している。救済することなど適うべくもなく、ただ凝視するのみである。
 自然の摂理としての時空に共存している自分は、裸眼では見えない分子飛び交う大気の中にいる。
 飛葉が教える自然の時空の循環、その一刹那の現場に立ち会う自分は確かに《振動》の波動・粒子を感じている。

 全ての存在は、自分と対立する存在物との空気の形に決定づけられている。見えないものを刻めないが、存在を削り極めてその間隔を図る。そこには明らかに空気の層やそれを支える地下の引力が働いている。

 稀有な考え方かもしれない、しかし存在の根底は、見えないものの力(振動する空気の層)による因果関係を抜きにしては認識できないものである。

 それを確かに教え伝えてくれているのは、例えば《飛葉》ではないかと考える。母体(生命体)から離れた飛葉は、風力による浮遊はあるかもしれないが、確実に重力により地上に落下する。幾憶の歳月に繰り返されてきた循環に抗うべき術はない。

 それを凝視する自分も、その例に漏れるものではなく、時間のサイクルに長短があるだけである。

 《飛葉》という切なくも愛しい「生から死」への時間を垣間見せる対象物との、心理的にも物理的にも揺れる時空への哀惜が《振動》である。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)


『城』2185。

2015-12-26 06:49:22 | カフカ覚書

ふつう、バルナバスは、ある大きな事務室に連れて行かれるのですが、そこは、クラムの部屋ではありません。だいたい、個々のお役人の部屋なんてものはないんです。


☆ふつう、バルナバス(生死の転換点)は、大きな秘書局のテーマに導かれていくのですが、クラム(氏族)がテーマではありません。要するに先祖の個々の秘書局のテーマなんてものはないんです。


電話。

2015-12-26 06:18:54 | 日常

 月江姉から一年に一度かかってくる電話。
 長い…受話器を持った手がしびれてくるほどに長い電話。ほとんどが神さま(基督教)の話と、自分の活動についてである。
 そして毎年聞いているうちに分かって来るのは、内容がほとんど同じだということで、聞いているこちらは少々疲れて来るけれど、姉の熱意は留まることなく延々続けられる。一時間を優に超える時間をひたすら聞き、時々「聞いてる?」というので「はい」と相槌を打つ。そういう会話である。

 昨夜は、申し訳ないけれど、受話器をすぐに弟である夫に渡してしまった。
「ふん、ふん、そうなの」「大変だねぇ」などと応えているうち、「四つのクリスマスパーティーを廻って疲れているでしょうからこの辺りで」などと口を挟んでいるけれど、一向に受話器を置く気配がない。

 ずいぶん長い年月わたしが経験してきたこと。それを思うと可笑しくて忍び笑いが止まらない。

 姉さんは戦後、叔母さんと言う人が経営していたダンスホールで長姉と一緒に働き、ダンスも歌唱も巧みでアイドル的存在だった人。アメリカ人に嫁ぎ、聖書から英語を覚えたという努力家でもある。
 華やかで楽しく嘘がなく、いつも元気な次姉。

「ほお、83才になったの、自分は71才だよ」なんて言っている。(お姉さんは83才になったのかぁ)朝は散歩で空き缶ゴミ拾い、刑務所の慰問どころか、そこで生まれた子供まで引き取って育てた人。
 《熱意と誠意の人》に心から敬意を抱いている。
 一男一女を生み、今は孫、ひ孫に囲まれた暮らし…向こうの人になってしまったけど、やっぱりこちらへの想いも・・・、それをむげに避けてはいけない。でも、たまには弟と話してください。

 長電話…まだ残る四人の姉弟妹にかける予定らしい。
 83才のお姉さんのエネルギーに乾杯(完敗)。