続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『ヘーゲルの休日』

2015-12-16 07:23:44 | 美術ノート

 ヘーゲルならば、この問題を楽しむだろうとして名づけられた『ヘーゲルの休日』
 この問題とは何だろう。

 《・・・雨傘はコップの中に入り、最後に、コップの下にきたのです。》
 このコメントは、地球創世期のことではないか。雨傘は地球、コップの水は…宇宙の中で「水=液体』の状態で存在している量は少ないという・・・つまりはコップの水ということかもしれない。

 地球はその水(水蒸気)の中に入り、最後にコップ(雲)の下にきたのです。ということではないか。
 水の量は地球創生期から変らない。地球の下(地下)や表面(海・川)に留まり蒸気として気化していくが、冷えて雨となって地上に降り注ぐ。この循環。

 生命を支える根源としての水の三態に対する雨傘(地球)は・・・。

 「ヘーゲルならば、水を欲しないと同時に欲するという、2つの対立する機能を持ったこのオブジェに対して、とても敏感に反応しただろうと考えました」というマグリットのコメント。

 《欲しないと同時に欲する》という対立する機能を持ったこのオブジェ。
 作品はコップ(コップの水)が雨傘の上(中心部)に乗っているという図であり、雨傘が少し傾けばコップの水は必然的にこぼれてしまうという危機的状況である。
 この奇跡のような状況こそが、地球における水の存在ではないか。この安泰が持続するとは限らない。

 水の問題は地球における課題の論拠である。(「さて、さて、さて・・・」と、マグリットは言っている)

 

 (写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2175。

2015-12-16 06:32:14 | カフカ覚書

Kにすれば、この村そのものの中からでもバルナバスやその姉の努力のような不幸な努力が生じてこようとは、夢にも考えなかったのである。


☆この村(来世)そのものが、姉(アマーリア/作り話)のような不幸な傾向が生じてこようとは考えられないことだった。