月イチの歩こう会、京急金沢文庫駅から釡利谷緑道、ののはな館までを歩いて昼食。
その時拾った花のような松ぼっくり。
「これって、なに?」子供みたいにはしゃいだ気分(だって見たことないんだもん)
ネットで調べたら《ヒマラヤスギの松ぼっくり》とのこと。
(やっぱり、花ではないのか・・・)
でも可愛いから、手に取って随時眺めている。
いつも通り、リタイヤ組の恥ずかしいわたし、金沢動物園でコアラの可愛い姿を見て帰宅。
「これからのコースが今日の本命なんですけどねぇ」とリーダー。
「・・・」申し訳ありません。(今後ともよろしく、見捨てないでください)
「絵の具がチューブに収められたことで酸化を防げるようになり、屋外での写生を可能にしました。それ以前は豚の膀胱などに収められてもいました。豚は捨てることろがありません、膀胱は子供のおもちゃ(風船のようなもの)としても人気があったようです」
「浮世絵が当時いかほどの価格であったかといえば、かけそば一杯の値段だといわれています。まぁ300円くらいでしょうか。当時はあまり珍重されていなかったようです。今だったら買い集めるんですけどねぇ・・・」
軽口を挟んだ講師のお話を、バスの中で伺いながらの楽チン美術館めぐり。
『モネ展』
初恋の人に出会うような懐かしさ、やっぱり原点はこの感動から始まったのかなと、思いを新たにした。
光を描くという画期的な挑戦が確信に変わり確立されていった印象派。瑞々しい筆致は生命力そのものであり、いかに光り輝くという彩色の効果に賭けたかが作品群の中から伝わって来る。
光=空気/大気であり、分散された光の彩色が、その場の光景として醸し出す雰囲気はそれ以前の手法ににはなかったことである。眼で見たものを詩情をもって作品化していく高揚感が伝わり、作品の前に佇む人たちみんなが《分かるよ、凄いよ、きれいだよ》の眼差し。
心を揺さぶられる感動を分かち合う愉しさにまで浸透した印象派、クロード・モネ先生はあの世からこの賑わいを見ているでしょうか。
『浮世絵肉筆』展。
優美・・・モデルは遊女が多いけれど、アイドルやスターという感じかもしれない。華美・色を売る、肉体的にはつらい職業であったはずだけれど、装い風情の点では目を見張るものがあり、やはり絵師の心を誘った対象に違いない。もちろん商売として成立しうる需要があったのだと思う。
着物の柄、着こなしの艶やかさ、憂愁漂う色香、どれにも繊細な気配りと豪奢な風情にため息が出てしまう。
葛飾北斎の肉筆画(3点)には鋭い線描、筆跡が見られ、思わず息をのみ、姿勢を正さずにはいられない一流の持つ圧倒的な揺るぎない精神を、感じるというより襲われたような強さに感動。
雨天ではあったけれど、和気あいあい、楽しい美術館めぐりになりました。
伊藤淳先生、担当の岡倉さん、高島さん、お世話になり有難うございました。
二人は、停車場の前の、水晶細工のやうに見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。
☆普く図りごとの態(ありさま)は赦(罪や過ちを許す)情(感情)を全て推しはかる。
章(文章)には裁く考えが現れる。
吟ずる教(神仏のおしえ)に黙って委ねる。
照(あまねく光があたる=平等)の考えを常に推しはかることである。
それで、クラムを見る機会をあたえてくれなかったのです。でも、もちろん、彼の外貌は村じゅうに知れわたっています。なかには、彼を直接見た人もいますし、噂だけなら、だれでも聞いています。
☆見ることは決して叶わなかったのです。もちろん本来の彼の姿は来世では知れわたっています。先祖は外観の検分からなら彼を見ることも聞くこともできます。