『発見』、ある物がほかの物へと変容していくことの発見、けれど異質なものへの変容は考えられず、むしろ発見不可能なことの発見というのが通念である。
女体の皮膚が木目に変容していく、どこをどうつなげたらそうなるのか不明に尽きる。
『思考』を促す発見だと、マグリットは語る。
女体と木目(樹木)に共通項はない。強いて言えば、生物というくくりであるが、女体は動くが樹木は留まるきりである。
しかし、女体の皮膚が木目に変容していくというのは、女体がすでに女体としての生命を断ち切られたということではないか。
眼は憂いを含み開いているし、唇も赤い。黒髪は少し白髪交じり、胸の感じからして中年かもしれない。とすれば、人生半ばの無念の死である。
女体の背景は緑一色、深い海の底のような彩色であり、これはマグリット作品の約束である《年代不詳、時代を超えた時空》である。
生身のままの彼女の精神は彷徨を続けている。世代を超えて肉体を消去できない霊魂。しかし女としての甦りは絶たれている。
木目の年輪は木の寿命である、静かにも(生命の木)と称せられた命の根源へ還っていく。
『発見』は、英知のもたらした象徴という作用に事物が還元され、想像でのみ変容されていく《幻の時空》があることの発見ではないか。
物理的な法則からの解放である。
いかようにも自由な発想で変容可能な世界。この作品に見る質的変換は自由への入口・発端であり、物理的束縛から逃れ解放された世界である。この発見には『思考の橋』を渡ることが条件かもしれない。
〔プリオシン海岸〕といふ、瀬戸物のつるつるした標識が立って、向ふの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干も植ゑられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。
☆皆(すべて)の願いを施(恵みあたえる)図りごとである。
仏の表れる冊(書付)が律(きまり)の講(はなし)である。
諸(もろもろ)の済(救い)を徹(貫き通す)。
覧(広く見渡して)換(入れ替えること)に嘱(ゆだねる)。
黙って省(注意してみる)質(内容)である。
もちろん、オルガの説明は、まだまだ委曲を尽くしているとは言えないし、いつなんどきどんでん返しに終わらぬともかぎらない。オルガの無邪気さは、疑いようがないとしても、すぐにそれにたぶらかされて、バルナバスの誠実さをも信じこんでしまうような真似をしてはならない。
☆もちろん、まだ十分に説を広げてはいないし、やはり、結局反対に終わらないとも限らない。オルガ(機関/仲介)は潔白であるとしても、それによってバルナバス(生死の転換点)の公正さを信じることを惑わせ、失うことはない。