続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮《Ⅲ-3-3 [無題(I.W葉ッパの箱]》

2015-12-06 07:00:29 | 美術ノート

 材木の溝を刻んだ中に、木の葉を銅版に写した物を数枚重ねて入れてある。

 木は生命の象徴、祈りの主軸であり、飛葉(一葉)は生命の終末、死である。その生命の終わりを一枚ずつ丁寧に複製し、箱(棺)に納める・・・これは祈りの儀式ではないか。

 O.ヘンリーに『最後の一葉』という作品がある。重篤な病人が自分の生命に重ね、窓外の木の最後の一葉を凝視している。木から葉が落ちるその瞬間を恐れて心の振幅をみせる臥した人の眼差し。


 若林奮は、その飛葉に命を重ねている。
 一枚一枚が生命の母体を離れ、死していく運命。
 一枚、一枚と、重ねるときの作家の優しくも物悲しい素顔が見えてくる。
 敬虔なる祈り、葬送の儀式[葉ッパの箱]という表現には一種の照れが隠れているような気がする。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)


下降・弱気・衰弱。

2015-12-06 06:34:17 | 日常

 何かすると、すぐ疲れてしまう。
 眼は充血気味だし、肩は年中凝っている。膝痛はあるし腰痛も疑われる昨今。《ほどほどに》という気持ちですべてをやり過ごしている。

 だらしない日常、それでも元気な振り…ああ、でも今朝は風邪気味。

 年をとったから?・・・そうでもない、若いころからこんな体質で、とても長生きは無理だろうと思っていた。だからここまで(68才)まで生きていれば上等だという気持ちでいる。
  ただ、死ぬまでにもう少し片づけておきたい。昨夜も片付け物をして疲労困憊、結局処分するものはこれだけ?って感じ。(まだまだ、何かやりたい欲は残っているらしい)自分で苦笑。

 どうでもいい・・・弱気にそう考える。弱気というのは柔らかいベットのように心地いい。弱気に甘んじる・・・そうして夢見心地に消えていく、あぁ、いいなぁ・・・。
 衰弱している身体に鞭は打たない。労わりながら繕いながら暮らしていく。

 膝痛の最大のメリット(?)下降の坂は素早く下りることが出来ない。
 ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ安全を確認しながら、桃源郷のある場所へ降りていくという夢想プラン・・・で、あります。


『銀河鉄道の夜』160。

2015-12-06 06:27:52 | 宮沢賢治

 さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。

 降りたはコウと読んで、恒。
 人たちはジンと読んで、腎。
 行ったかはアンと読んで、案。
 一人はイツ・トと読んで、逸、図。
 見えませんでしたはゲンと読んで、現。


☆恒(常に変わらない)腎(かなめ)の案(考え)である逸(隠れた)図りごとが現れる。


『城』2165。

2015-12-06 06:06:21 | カフカ覚書

しかし、あくまでだいたいにすぎないのです。その他の点では、よく変わるのです。と言っても、もしかしたらクラムのほんとうの姿ほどは変わりやすくないかもしれませんが。


☆しかしながら、単に主要な特徴というだけです。他の点では変わりやすく、もしかしたらクラム(氏族)の姿(真実)は、先祖の汚点ではありません。