続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『神々の怒り』

2015-12-18 07:16:06 | 美術ノート

 『神々の怒り』…神々は何に対してお怒りなのだろう。
 神はある意味、全肯定的な存在ではなかったか。罪を許す、救済のイメージが強い。

 怒るとしたら、その存在への否定しかない。
 この作品の中に、神々を否定する要素があるのだろうか。乗馬、車社会などを越えたところにに神さまへの信奉はある。
 走る車(停車しているかもしれない)、車の上を飛び越そうとしている騎手(双方は必ずしも同じ直線状にいないかもしれない)。
 同じスピードで走り続ければ、馬(騎手)は落下を免れるのだろうか。(神は禍福を降ろす存在であるとされている)

 この安泰に見える光景からは、次の瞬間の惨状が予想されるが、極めて静謐な画面である。
 車(文明)の上の疾走馬は、何を意味するのだろう。車の走る地上は舗装で整備され山上でありながら、道は平らである。そして、道の端は石積みで安全が保たれている。

 画面に見える空気は裕福・安泰であるが、唯一その空気を打ち破っているのは疾走の騎手である。何に向かっているのかは不明であり、そのエネルギーが垣間見えるだけである。車はエネルギー(ガソリン)が内蔵されているので、馬力はあってもそのエネルギーは見えない。

 これらの条件の中に神々は隠れているのだろうか。

 《神々の怒り》は、すなわち《神々の否定》である。『神は死んだ』と言ったニーチェ、つまり、唯物論を暗示しているのだろうか。

 しかし、この危機一髪の状況を救えるものは唯物論的思考(物質)だろうか。否、精神(祈り)であると神々は叫んでいるかもしれない。
 一寸先の闇を想起させる静かな画面、神々の怒りは隠れていて見えない。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』172。

2015-12-18 06:42:24 | 宮沢賢治

『おや、変なものがあるよ。」カンパネルラが、不思議さうにたちどまって、岩から黒い細長いさきの尖ったくるみの実のやうなものをひろひました。


☆片(二つに分けた一方)は、普く詞(ことば)を疑う律(きまり)が含まれていると告げる。
  再(くりかえし)挑(いどみ)詮(明らかにする)実(内容)がある。


『城』2177。

2015-12-18 06:23:58 | カフカ覚書

「クラムの外貌についてのいろいろな報告は」と、オルガは話を続けた。「バルナバスがよく知っていますわ。あの子は、そういう報告を多すぎるほどたくさん集めて、それらを比較検討し、また、自分でも一度村でクラムを窓ごしに見たことがあるのです。


☆「クラム(氏族)を見たという報告はあるのです」とオルガ(機関・仲介)は引き続き言った。バルナバス(生死の転換点/北極星)は、非常によく知っています。そういう報告をたくさん集め、比較し、ひょっとしたら自分でもクラム(氏族)を熊座(北斗七星)の天の食(生死の入口)から見たことがあるのです。