《4個の鉄の囲まれた優雅な樹々》
優雅? 優雅だろうか・・・こんなにぎっちり間隔もなく植樹された樹々、ゆとりもないし、気品も感じられない。
むしろ横暴である。日照の問題を度外視した《4個の鉄に囲まれた樹々》は時間、かなり早い時間の経過で盛衰が明確に現れてくるに違いない。
勝ち残る樹、衰退しやがて朽ちるしかない樹、この密集は静かなる戦いの場である。醜悪でさえある光景を創り出した意図は何だろう、少なくとも[庭園の美]は感じられない。
4個の鉄の意味は、一つの所有された空間ということだと思う。しかし・・・。
生育し変化を見せる樹々に対し、鉄はそこに在るのみであり、酸化し時間の経過とともに朽ちていくだけである。形が崩れていく、崩壊感覚の予兆は確かに共通する要因かもしれない。
この光景はある種の告発であって、人間の横暴が、やがてはどのような結果を見せるかの年月を要する実験である。
端的に言えば、人間は自然を意のままにすることは出来ないという主張を含んだ作品提示である。
遅からず知るはずの荒んだ光景に、解答は自ずと見出されるに違いない。強い樹が勝つ(残る)というのも自然の理ではある。(「神宮の森」の計算とは真逆の計算が隠されている)
若林奮の逆説的発想の結果は作家の与り知れない未来にある。しかし、かなり早くその結果を見ることになることは作家自身が一番よく知ることで、その胸の内の寂しさを、今は推しはかる術もない。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)