どんなことがあっても、歩き続ける。これが生活の基本である。
しかしながら、長年の不摂生、閉じこもりにより近年は歩行困難をきたしている。
「毎日三十分、歩いてください。そうすれば必ず筋力が付きます」とは、三浦半島一周を徒歩で敢行した講座の長である古山さんのコメント。
それが守れない、意志薄弱なわたし・・・。他力本願、自分を失くして他人に付いていくだけ。
それでも、外へ出るだけでも良しとしなければと「歩こう会」に入会し、ウオーキング協会のお世話になり、そして今、果敢にも(?)「花を見る会」に参加希望を申し出た。予定表を見るとほとんど毎回10キロの工程・・・。
「花を見る会に入らない?」と、友人のお誘い。
(そうね、)お散歩くらいの軽い気持ちだったのに…大丈夫?(自分に問いかけて危惧している)
リーダーは十年くらい前からの顔見知り、何とか勇気を奮い立たせて自分を叱咤激励している。
《年をとったら外へ出なくちゃね》
ご同輩たちとの合言葉である。
頑張れるかな? 頑張らなくちゃ!
『光の帝国』
光とは周囲を明るく照らしだす発光体のことである。
昼は確かに太陽光によって世界は明るく人の目に見えるような状態をつくり出す。しかし、夜の光というものは月光(あるいは星)をおいて他にはない。
光の帝国、帝国とは皇帝の支配する国家のことであるが、一人の人物(集団)の支配による独裁国家という帝国もある。
マグリットは「私が常に、夜と昼とに対して最大限の関心を抱いているからです。しかしながら、どちらが好きだと感じたことは一度もありません」と、コメントしている。
夜を照らすもの・・・夜、見えない人の心を照らすもの、指針となる統治下の生活。渾沌・混乱を治める支配なしに安心な暮らしはない。
しかしながら、昼の光(太陽/自然)の恩恵に比べれば、立派な建造物に灯る明り、広い領域にまで届かないポツンと点いた街燈など、人為的な威光はこれほどのものでしかないのではないか。
どちらにも恩恵はあるが、雨風嵐の風雪や辛苦を伴う指令にも耐えなければならない。
昼の青空に浮かぶ雲(不穏の予兆)、帝国に潜む暗澹。建屋とも見える巨大な空気口(吹き出し)からは火を吹くような驚愕の指令が出るかもしれない。
昼が来れば夜になり、夜が来れば昼を迎えるという自然の摂理の下にわたしたちは暮している。逆らう術などあろうはずもなく、疑うことも希薄である。
しかし、マグリットは考える。この大いなる力にも差異があると。
しかし、否定することも叶わず、ただこの条件下に身を委ねている。この世界の構図を詩に例えるならば、こんな風になるのではないか、気づかない驚異というものもある。・・・マグリットの解答である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳になにかせはしさうに書きつけながら、鶴嘴をふりあげたり、スコープをつかったりしてゐる、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図してゐました。
☆襟(心の中)を普く兼ねている。逸(かくれた)図りごとの講(はなし)である。
金(尊い)願いの教(神仏のおしえ)を重ね、化(教え導く)絡(すじみち)を写す。
腎(かなめ)の趣(考え)を調え、化(形、性質を変えて別のものになる)の諸(もろもろ)を書く。
推しはかる太陽の任(つとめ)を叙(述べ)、趣(考え)を務(いちずにはたらかせ)注(書き記す)詞(言葉)の図りごとである。
あるいは、むしろお城の役人のことをこまごまと説明してきかせるかもしれません。ところが、その説明は、wたしたちが知っているクラムの特徴とぴったり一致するのです。
☆むしろ返事は、終末(死)の不安の説明をできるかもしれません。そして、その説明はわたし達が知っているクラム(氏族)の記述とぴったり合うのです。