『人間の条件』
窓から見える景色と室内から描いたその景色が、差異なく一つの景色に見えるというように図って描かれた作品。これを称して『人間の条件』としている。
絶対にありえない状況であり、連続していない空間を差異なく連続させることは不可能である。
しかし、不可能を可能にすることが人間の条件だと言っているのではない。
《人間は錯覚・錯視をもって対象を見る》と言っているのではないか。
何故か。
人は経験上のデータの集積をもって対象を見るからであり、我意に沿うように差異を修復する傾向がある。思いのままにというわけではなく思い込みという確信が、視界をそうさせるのである。
任意の景色(空間)は、疑似化された景色(空間)と一致することはない。まして連続を肯定する技術などはあり得ない。
にもかかわらず、精神的な領域では安易に信じてしまう傾向がないとはいえない。
不確かさを確信する。
見ることの曖昧さである《知覚の現象》を指して『人間の条件』としたのだと思う。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖の上を通るやうになりました。
☆鬼(死者の魂)の赦(罪や過ちを許す)千(たくさん)の我意の章(文章)は、痛(心にいたみお感じる)。
「フリーダのことは、ふれないことにしましょう。フリーダはアマーリアがソルティーニからもらったような下司っぽい手紙なんかもらっていませんからね。それにフリーダは、クラムをほんとうに愛していたんだ。嘘だとおもうなら、フリーダにたっずねてごらん。いまだって、クラムを愛してますよ」
☆フリーダは、アマーリアがソルティーニからもらったような手紙など持っていない。
フリーダ(平和)はクラム(氏族)を本当に愛していた。疑うのなら、たずねてごらん。彼女(平和)はいまでもクラム(氏族)を愛している。