続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

〔今日から始める俳句〕①

2016-07-15 07:35:21 | 市民講座

〈日下野由季先生の授業〉

 俳句は一般に、人事句(抒情句)と写生句(情景句)とに分かれます。
 一句一章や二句一章の形を取りますが、三段切れはありません。5・7・5で言葉を並べるのでそういう傾向が生じやすいかもしれませんが、その場合は必ず、読み直し、俳句として詠めるようにしてください。

 切字には「や」「かな」「けり」の終止形があり、それによって意味が異なった印象に変化します。

 俳句には、有季定型と無季自由律がありますが、初心者の場合は有季定型で試みる方が無難でしょう。

 先生のお話は丁寧で分かりやすく、何も知らないわたしには衝撃的。(そうだったのか)今さらね、恥ずかしいyo。

 日下野(ヒガノ)由季先生、ありがとうございました。


デュシャン『壜掛け』

2016-07-15 07:01:10 | 美術ノート

 『壜掛け』
 壜をかけ乾燥させる器具らしい。(日本では見たことがない)

 これを作品として会場に提示する。
「なに?なんで?」
 鑑賞者の戸惑いが目にに見えるようである。家庭内の日常品は慣習的に使用するものであって、作品という意図を持っていないはずだと確信するからである。

 しかし、日用品が作品に昇華されたのではない。
 その物はその物であり続けるしかないが、それを展示会場に確信的に設置し鑑賞者にメッセージを発するところに、意味のないところから意味を見出すように働きかけているのである。

 この壜掛けは、会場において何ら意味をもたない物質と化している。第一この物が何であるかさえ不明な状態である。
 写真で見ているだけなのでよくは分からないが、この物の立地点は奇妙に浮き、奇妙に外れているのではないか、つまり危機一髪を危惧されるギリギリの状態なのではないか。とすると、この作品(壜掛け)を鑑賞するのには非常な危機感を併せ持たなければ鑑賞できない空間づくりがあったと思われる。
 この壜掛けは『壜掛け』と名付けられているので、壜掛けであると了承するが、それ以外の有効性は剥奪されている。意味のないもの、有効性を見いだせない奇妙なものとさえ映る。

 目的をもって制作された物が、目的を外された状況に置かれることの滑稽さ。
 《無意味》の象徴は孤立し、鑑賞者を困惑から救い出せない。しかし、やがて、鑑賞者は思考を巡らせ、《無意味》の意味に気づかされる。

 物質と言葉との約束は有用性をもって果たされるが、破棄された状況においては漠とした無意味だけが浮上するのみである。


(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)


『城』2376。

2016-07-15 06:18:23 | カフカ覚書

ふつうの場合は、もしかしたらそのとおりなのかもしれません。しかし、残念ながら、わたしたちがこれまでに見せつけられてきたところでは、いったん大事な問題が生じた場合は、けっしてそうではないのです。


☆もしかしたら普通なのかもしれません。しかしながら不幸にも事情があり、それゆえ予言者によって事情が全く違ってしまったのです。