叔母の告別式・・・。
「百歳も過ぎているかと思うと、悲しいという感じがしないわ」と、娘のヒロちゃん。(きっと気を張っているせいでしょう)と、内心つぶやくわたし。
お葬式は一大イベントである、大きなエネルギーがそこに働く。
向こうへ旅立つ叔母さん、車椅子ではあったけど先月までキッチンに来て食事を取っていたという。
「お祖母さんの弟が『姉さんはお勉強ができなかった』って笑ってたわ。でも死ぬ間際に百歳で、総理大臣に表象されるなんてね」とヒロちゃんが笑った。
そう、明るく送りましょう。
肩凝り、眼精疲労・・・ひどい倦怠感。
百一歳まで頑張った叔母さんに笑われてしまうね、きっと。
呼吸を整えて、今日一日を叔母さんのために祈りましょう。
『回転ガラス板』
色を塗った5枚のガラス板が一本の軸の上で同時に回転させる(1メートルの距離から見る)と、ひとつづきの同心円が生まれる。(解説より)
この状況を想像で考えるしかないのだけれど、視点はどうしても中心に引き寄せられるしかないのではないか。そして回転しているが全くの同心円であるために静止しているかの印象を受けはしまいか。
5枚のガラス板を所有する空間はあたかも平面状に感じる妙。距離を隔てたものが、ガラスの透明・同心円の回転という謀によって錯覚(錯誤)が生じる。
構造(図りごと)が現存を凌駕するという現象である。
見えているものは正しいと確信するが、必ずしもそうでないことの証明。
(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)
「いゝえ、汽車を追ってるんぢゃないんですよ。猟をするか踊るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたといふ風にポケットに手を入れて立ちながら云ひました。
☆鬼(死者)の赦(罪や過ちを許す)応(こたえ)は、霊(死者の魂)の要の照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)に拠る謀(はかりごと)だり、普(あまねく)趣(考え)は新しい律で運(めぐらせている)。
お役人に惚れたがために身をまかせたと言われても、ほめ言葉でもなんでもありません。その娘はお役人を愛した、そして身をまかせた。それだけのことだったのです。ほめることなんか、まるでありません。
☆彼女は愛するがゆえに成し遂げ、それゆえに捧げた。彼女は愛し、彼に捧げた。それだけのことです、ほめることなどまるでありません。