続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『赤いモデル』

2016-07-05 06:46:11 | 美術ノート

 『赤いモデル』
 足が靴に変容している、靴の先が人の素足になっている。
 ごつごつした地面の上の素足、地面には小銭(コイン)と短くなるまで吸ったタバコの吸い殻、ヌード写真の載った印刷物の切れ端、年輪・節目の露わな木材の塀。

 一見して富裕とは無縁の貧困を想起する。過酷な労働を暗示する素足、足は靴(道具)と化している、小銭ほどの賃金、わびしい吸い殻、悦楽も遠い幻想にすぎない日常。
 歓喜、希望、情熱といった精神性の欠片も見当たらない。遮蔽された世界、拘束の向こうの世界を垣間見る自由もない。年月だけが無為に過ぎていく。
 通常縦に張られる板塀は横に張られていて、物理的不具合、抵抗を感じる。(日本には横車を押すという言葉があるが)

 足先だけが人間を暗示している。上体の欠損、人であって人でない。尊厳を問う前に人が見えない。この空漠は非常に重い。

 赤は共産主義、当時の共産主義のあり様を告発している。共産主義のひな型としての仮説である。


(写真は『マグリット』西村書店刊より)


『銀河鉄道の夜』361。

2016-07-05 06:32:41 | 宮沢賢治

向ふ岸もまた黒いろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行くのでした。


☆講(話)の願いを告げる我意は千(たくさん)含まれている。
 解(部分部分に分ける、バラバラになる)理由は、化(形、性質を変えて別のものになる)の考えの講(はなし)だからである。


『城』2366。

2016-07-05 06:20:56 | カフカ覚書

「でも、そんなことが大きな相違でしょうか。あなたはクラムがフリーダにおなじような調子の手紙を書くわけがなかったとでもおもっていらっしゃいますの。お城の人たちは、いったん仕事机から立ちあがると、ああいうふうなんです。


☆でも、そんなことが大きな差別でしょうか、とオルガは訊ねた。クラム(氏族)は同じようにフリーダ(平和)を閉じ込めたりするでしょうか。ここでは机上の推論から現れると、ああいうふうなのです。