『秘めたる音に』
音、物体の振動が空気を振動させて伝わる波。秘めたるということは、その物体に振動がないことである。
二枚の真鍮板を四本の鉄の棒(ボルト)で固定し、その中間に糸玉が収められている。
秘めるということは隠すことでもある、隠れているの物は糸玉と思うのは早計かもしれない。
鉄板で持ち上げられ、鉄板で抑えつけられている糸玉。鉄という重量を示す素材と糸という解れやすく軽さを示す素材の組み合わせ。糸玉が収納されているというより拘束のイメージがある、擬人化して考えると抑圧の光景である。
抑圧されているが解放されてもいる、という出入り自由の空間の設置である。
しかし全体は静謐極まりなく、音の気配もない。
物体自体は音を発することはなく、他からの圧力ないしは加力による振動における音が予想されるだけである。
音というエネルギーは振動によって発せられる。鑑賞者がこの作品を凝視し続けたとしても音が聞こえることはない。ただ『秘めたる音に』という題名を読むことによって音を想起し作品の中に音を予感する心理作用が働くのである。
物体は厳然として在るのみであるが、言葉を被せることで『秘めたる音』の予感が聞こえてくる。(実際に音のするものが入っているか否かはよ予測の範囲を出ない)
《物体のあり様》は《言葉》という媒介によって音(見えないエネルギー)を生じさせるということであり、無を有に見せかけることも、有を無に見せかけることもできるということでもある)
(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)
「新世界交響楽だわ。」姉がひとりごとのやうにこっちを見ながらそっと云ひました。
☆審(正しいかどうか明らかにする)逝(人の死)を解く。
講(はなし)の教(孫物のおしえ)を学ぶ詞(ことば)が現れるように運(めぐらせている)。
ところでね、ソルティーニのような世間のことにうとい男性が突然村娘に惚れこんでしまいますと。となり近所の指物師の奉公人の色恋沙汰といったものとは当然ちがった形をとりますわ。
☆ただソルティーニのようなまったく世にも不思議な男が、突然作り話に惚れこむと隣とのひそひそ話とは自然と違った形成になります。