『予期せぬこたえ』
予期、予想、期待に反する答え(問いに対する返事)とは何だろう。
問題があって回答する、答えは対立する相手から帰ってくるものである。
扉を隔てた向こうとこちら、床面は続いている。閉じているはずの扉は人為的かつ不定形に開口されているが、向こうは漆黒の闇である。
見えない向こうと、見えているこちらに差異を証明するものは無い。隔てられているが開いているという状況である。
光(見えて在るもの)と闇(在るかもしれないが不在に見える領域)とは持続した関係であり、それは時間と空間の変移である。
『予期せぬこたえ』とは、こちら側の視点であり、見る者が発した問いに対する答えとしての自己完結ではないか。つまり、予期を拒否する答えである。
どうしてもどうしても見出すことのできない答えが扉の向こうにある。その時空は確かに接続されているはずなのに、扉を開けることは叶わない。
無理に開口しても、ただ闇に被われて、答えを見いだせない不明の時空である。
現世と来世の遮断、この開口は無理に入った(自殺者)の痕跡だろうか。
叩けば開く扉ではない、予期(予想)を拒絶された扉の前に佇んでいる慟哭の思い。
開いてはいるが正しい訪問ではない開口の暗示。これが「こたえ」なのかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
それはだんだん数を増して来てもういまは列のやうに崖と線路との間にならび思はzジョバンニが窓から顔を引っ込めて向ふ側の窓を見ましたときは美しいそらの野原の地平線のはてまでその大きなたうもろこしの木がほとんどいちめんに植ゑられていてさやさや風にゆらぎその立派なちゞれた葉のさきからはまるでひるのあいだにいっぱい日光を吸った金剛石のやうに露がいっぱいについて赤や緑やきらきら燃えて光ってゐるのでした。
☆枢(かなめ)の蔵(しまってあるもの)の記は裂(バラバラに離れている)。
我意が千(たくさん)露(あらわれるのは)、換(入れ替える)詞(ことば)により双(二つ)を含む隠れた己(わたくし)の考えがある。即ち、双(二つ)を兼ねる也。
現れる弐(弐つ)を併せた千(たくさん)の代(入れ替わり)は黙って嘱(ゆだねている)。
普く律(決まり)を把(つかむ)要は、現れる化(形、性質を変えて別のものになる)の考えを究(つきつめる)。
混(交ぜて)合わせて釈(意味を解き明かす)路(筋道)を析(分ける)録(文字に書き記す)年(考え)の講(はなし)である。
アマーリアにあてた手紙だって、その瞬間に思いついただけのことで、文面の意味なんかまるで考えもしないで紙にになぐり書きをしたのかもしれませんわ。
☆アマーリアへの手紙も思いつきで何も考えず、ただ無意味に投げつけるように書いたのかもしれません。