とにかく下を向いて手を動かしていることが好きである。
ビーズのネックレス…いったい幾つ作るの?っていうくらい作って楽しんでいる。
今日は手作りバック、(不細工な代物)買った方がよほど上出来で安いものもある。
でもでも、作るのは病気かも・・・。
『魔法の鏡』
確かに鏡らしきものがあるが、手前の空間を映しておらず、ただ corps humain の文字が描かれているだけである。
光の反射を利用して手前にある事物を映し出す道具であるはずの鏡の機能を果たしていない。それを鏡と呼ぶ根拠はどこにあるのだろう。
人を幻惑させる不思議な力を持つ鏡…不明さに迷うことはある、それぞれが意味を主張しているようであり、また打ち消してもいるというバランスに鑑賞者は困惑せざるを得ない。
第一、この物(鏡らしきもの)はどこに重心を置いているのだろう、存在しているが床面に立つというのには少々難しい感じがする。壁に寄りかけているにしては真正面であり、そっている(斜め感)ようには見えない。壁に入った亀裂も不可思議である。
この文字にしても通じる人にしか通じない告知であり(人の体という意味か?)、「鏡の中に人の身体を想像せよ」というメッセージなのかも判らない。
床面も遠近法に基づいて描かれているように見えて長短の差異がある。
パイプを描いて「これはパイプではない」といい、鏡に遠いものを描いて「鏡」という混濁。
鏡といえば映すものと確信し、魔法と修飾すれば、不思議な混迷があっても当然と意識する心理作用。
『魔法の鏡』とはこの絵全体を指し、鑑賞者の眼差しへの試薬ではないか。実験的な鏡であり、見えない媒体としての鏡である。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示しその振子は風もなくなり汽車もうごかずしづかな野原のなかにカチッカチッと正しく時を刻んで行くのでした。
☆省(注意して見る)綿(細く長く続く)章(文章)は、字の系(つながり)が代(入れ替わる)。
自(わたくし)は、弐(二つ)の詞(ことば)を芯(中心)に詞(ことば)を普く記している者也。
厳(犯しがたい/厳しく)照(あまねく光が当たる=平等)を告げる講(はなし)である。
ソルティーニについては、そういう噂はありません。だいたいkらして、世間にほとんど知られていない人ですからね。ほんとうのところ、この人について知られていることといえば、名前がソルディーニと似ているということぐらいですわ。名前がソルディーニと似ていなければ、たぶんだれにも知られずにすんでいるところでしょう。
☆ソルティーニについては知られていません。だいたい彼は知られていないのです。ただ本当に知られていることは名前がソルディーニと似ていることです。名前が似ていなければ、だれも全く知ることはないでしょう。