『美しい言葉』
美しい言葉、美辞麗句には片腹痛いような嘘が含まれていることが多いが、バラは確かに美しい容姿・美しい香りを有し、見る人を魅了する。
バラは言葉を放つことはないが、その秀麗な美しさで人の胸を打ち感動を伝える。
言葉が意思伝達のツールだとしたら、立派にその媒介の役目を果たしている。
この絵では、蒸気の形をとりもう一つのバラの形を見せている。もちろん有り得ない現象であるが、見えない形を想起するイメージという作用を人は無意識理に抱く。《無い、けれども有る》のである。
バラに対する感想は、バラ以上の膨らみをもって鑑賞者を刺激する、要するに《もう一つのバラ》であり、自分の中の想いのバラである。
バラの妖気・香気は、自分の中の《美》へと誘い込む。
(バラはバラである)だけなのに触発された幻想は掴みどころのないイメージとして、もう一つのバラを生み出す。美への興奮、美への憧憬である。
確かにバラは、淡く美しい言葉を放っているかもしれない。しかし、それは三日月の南中が見えないのと同じように《有るけれど、見えない》ものである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
山男はまんまるになつて一生けん命遁げました。ところがいくら走らうとしても、足がから走りしてゐるらしいのです。たうとうせなかをつかまれてしまひました。
☆太陽の談(話)には逸(隠れている)照(あまねく光が当たる=平等)がある。
冥(死後の世界)は頓(一々修行の段階を経ないですぐに悟りを開く状態)であり、総て則(きまり)は喪(なくなる)。
ところで、わたしも、ときには使者の仕事を高く買っていないようなことを申しますが、それは、あなたをだまそうという意図があってのことではなく、不安からなのです。
☆けれども、わたしは、Kがときおり死者の小舟を貶めるように言いますが、それは欺く目的ではなく、恐怖からなのです。