長年にわたる日常の怠慢により足腰が衰弱しているわたし。
月イチの「歩こう会」も、やっとの体。ところがラジオ体操仲間のNさんが「行く!」という。
彼女の元気に押されて(行くしかない…かな)という気持ち。
「歩こう会」のメンバーにも助けられているけど、つくづく友人の言葉に救われて細々元気をつないでいる。感謝、深謝。
『傑作あるいは地平線の神秘』
①三人の男は、同一(一人)の男の分解ともいえる。
②それぞれの頭上には三日月があるが、三日月の南中は見えない。
③地平線上に街の屋根の形が鮮明に見えることはあり得ない。街の屋根は少なくとも地平線よりはるか手前に見えるはずのものだからである。
④真昼間の光景でありながら、街の屋根などの光景は夕暮れのような不鮮明さである。
⑤月が三つ並んで現出している光景はない。
同時刻(同条件)の三つの時空が並列することは物理的にあり得ないが、精神的な自由(妄想/虚偽)としての肯定はあり得るかもしれない。
地球を三体並ばせ、それを切り張りした光景の巨大さを、一個人の中に収めるという暴挙である。
物理的空間には限りがあるが、精神的空間には途方もない企てを許容する無限があることの証明である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まはりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。
☆往(人が死ぬと)魂は総て除(取り去られる)。
相(姿)は普く冥(死後の世界)の律により破(形を崩し)黙(声も出ない)。
にもかかわらず、申し出を断った。助手がさがしにきたので、びっくりしたのである。フリーダはおれの意向を知っているはずだし、助手どもも、さんざんこわい目に会わされた。それがまたどうしていっしょになったんだろう。
☆フリーダによれば、彼は不明瞭ではあるが自分の意志を持っているし、助手も彼を怖れているのになぜ再びそのように集まってきたんだろう。