「痩せて下さい」
整形の医師に常々言われている忠告である。「痩せれば足への負担が軽減しますから」
「はい、はい…」
これが守れない、まず間食のお菓子を何とかしたいけど・・・。
一日中座ってばかりのわたし、そして大食。これでいいわけがない!
『現実の感覚』
はるか遠くの山から流れくる川、左右はのどかな田園、空は高く白雲を浮かべている。平和な村の風景である。しかし違っているのは地上から仰ぎ見た空中に巨岩石が浮遊していることである。
その上に二十六日の月が見えるが、実際には南中する時刻には太陽の光で見えない幻の月である。
この巨岩石が隠しているということだろうか・・・。巨岩石は崇高なる奇跡の象徴であり、まさしく不条理そのものでもある。重力の否定は非現実的な構想であるが、これを『現実の感覚』と称している。
確かに在るが見えない月、絶対に無いが在るとして描かれた巨岩石。
この二つの対峙は奇妙な感覚を呼び覚ます、つまり有り得ないことへのストレスであり、不安である。
あり得ない事象は、あり得る可能性を孕んでいる。何かが起こる予兆は誰もが抱く『現実の感覚』にほかならない。
現実というものは、非現実の暗躍を脅威に感じるものではないか。嵐の前の静けさ…動転の変移に予告はないが、常に感じざるを得ない危機への怖れの感覚は確かに潜在している。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
一郎はまたすこし行きました。すると一本のくるみの木の梢を、栗鼠がぴよんととんでゐました。
☆逸(隠して)弄(おもいのままにする)講(話)である。
逸(隠して翻(形を作りけること)を黙っている。
照(あまねく光が当たる=平等)の律が素(本質)である。
そのとき、ノックの音がした。オルガは走っていって戸口をあけた。暗がりのなかへカンテラの光が一条さしこんできた。
☆戸を叩く音がした。オルガは走っていき戸を開けた。暗がりの中で、先祖のカンテラが帯状の光となって差し込んだ。