続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

歩こう会『金沢八景』

2017-10-05 07:38:49 | 歩こう会

 足に不具合が出てから約四か月、久しぶりに歩いた。
「一万八千歩、家に着くまでには二万歩ね」とメンバー。

 京急追浜駅から野島~海の公園~八景島シーパラダイス・バラ園~そして称名寺から京急金沢文庫駅。称名寺の裏山を上る予定を省いて駅で解散。
 恒例の女子会?(お茶のみ)一時間半余りを座り、いざ立ったら左足が前に出ない。どうしても出ない。

 他のメンバーに帰宅を促したけど、心配してくれて再度着席。
「足指を動かすといいわ」
「水を飲むといいそうよ」
 アドバイスを受けて足指を動かし水をがぶ飲み・・・5分ぐらいだったろうか・・・(今のは何だったの)という感じですんなり歩き出すことができ無事帰路についた。

 まだすっかり治癒したわけじゃなかったのかもしれない。
(でも、筋肉が衰えては)と頑張った昨日の歩こう会、《これで良かったの?》

 メンバーの皆様、心配してくださって本当にありがとうございました。


マグリット『即自的イメージ』

2017-10-05 06:54:18 | 美術ノート

 『即自的イメージ』

 台付きのお皿の上にチーズが描かれた絵(チーズではなくチーズのイメージである)が額装されて立ててあり、それをガラスのドームで被せている。

 本物のチーズの上にガラスのドームで遮断・保護されているなら納得がいくが、偽物(イメージ)の上に保護は不必要であり、無意味である。
《矛盾》、本質的な行為を逸脱しているこの在り様は、むしろ本来の事物の在り様を想起させる。

 わたしたちが知るところのチーズの大きさを基準にすると、台付きのお皿はそれなりに定まるが、台付きのお皿と見えるものが、テーブルだと仮定すると、チーズは想定外の巨きさにまで膨らみ、認識を固定できない。作品そのものが直接的事物ではなく想定されたイメージだからである。

 この曖昧かつ不安定な状態を上記のような比較をせずに臨むことは、現実(事物の本来の在り様)を挑発しているとしか考えられない。
 イメージ(偽物)として描かれたチーズは、むしろ実物(存在)への自覚を促すものである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『山男の四月』了。

2017-10-05 06:19:13 | 宮沢賢治

「えゝ、畜生、夢のなかのこつた。陳も六神丸もどうにでもなれ。」
 それからあくびをもひとつしました。


☆築く照(あまねく光が当たる=平等)の謀(計画)を、朕(わたくし)は、録(書き記す)。
 真(まこと)の願いである。

※賢治の描く世界は一にも二にも《平等》ということだと思います。『風の又三郎』で《どつどどどどうど…》の書き出しがありますが、《平等、平等…》と言っている気がします。


『城』2772。

2017-10-05 06:04:58 | カフカ覚書

したがって、わたしたちの運命は、なにやらあなたに依存しているような具合になぅたのです。たぶんあの二通の手紙は、ほんの始まりにすぎなくて、バルナバスの仕事は、あなたにたいする使者の役目にとどまらず、さらにもっとひろがっていくかもしれません。

☆わたしたちの天命は先祖の良心に従っており、ひょっとしたら、この疑惑の証明が初めであり、バルナバスの活動は、死者の小舟を広げたことと関係してます。どちらにしても、あなたにそう目指してほしいと希望しています。