続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『再開』

2017-10-31 07:03:41 | 美術ノート

 『再開』

 台の上に高台付きの植木鉢(そんなものはないが)に本来あるであろう草花はシルエット化され異なる景に置換されている。
 ※エデンの園の中央に植えられた命の木(あるいは善悪を知る木)を彷彿とさせる景である。
 バックは暗色であり、植木鉢の傍らには鳥の巣に入った三つの卵がある。

 これが『再開』の景だというが、謎のような景である。

 純白の台座を持つ植木鉢は、小さな世界つまり狭い領域の崇拝敬意としての表現ではないか。
 現実の草花を圧して異なる景を創出、一本の樹は雄々しく空に延び美しい景をなしている。しかし、それはイメージにすぎない。
 鳥の巣に入った鳥の卵こそ現実である。しかし、イメージの世界に押され、主張することなく傍らにただ在るだけである。

 イメージは(幻想)は現実を凌駕する。果たして現実は幻想から現実(生命の誕生の真実)を取り戻すことができるだろうか。現実には証拠がある(卵が先か・・の問題はさて置くとして)が、人の心はパンのみで生きるわけではない。生きる糧(信仰)は現実を回収し、異世界の扉を再開させる。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『どんぐりと山猫』26。

2017-10-31 06:46:04 | 宮沢賢治

「山ねこさまはいますぐに、こゝに戻つてお出やるよ。おまへは一郎さんだな。」
 一郎はぎよつとして、一あしうしろにさがつて
「え、ぼく一郎です。けれども、どうしてそれを知つてますか。」と言いました。するとその奇体な男はいよいよにやにやしてしまひまいました。


☆太陽の霊(魂)を推しはかる。
 逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)、逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)、逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)の質(内容)が現れる稀(まれ)な他意の談(話)である。


『城』2798。

2017-10-31 06:16:00 | カフカ覚書

オルガに案内されて、中庭を通り、垣根のほうへ歩いていくあいだ、Kは、自分のことをいろいろ心配してくれるオルガをてっとり早く安心させてやろうとおもって、自分はあんたが話のなかでちょっとした手管を弄したことに全然気をわるくはしていない、自分にはあんたの気持ちがよく理解できるし、あんたが自分によせてくれている信頼にお礼を言う、あのような話をしてくれたのは、とりもなおさず信頼のあらわれなのだから、と言い、バルナバスが帰ったら、夜中でもいいから学校へよこしてほしい、と頼んだ。


☆オルガはハロー(死の入口)を通って見物人を連れて行き、Kをさがし、あなたたちの心配を鎮めるために、あなたたち氏族の術策の話をした。全く不都合はなく、非常によく理解できた。
 あなたの話によって耐え忍んでいると、バルナバスが死を送り帰ってきた小舟がやはりまだありました。