『青春の泉』
鷲の頭部(鷲の嘴の先はもっと鋭く下を向いてはいないか)鳩ではないかという気もする(『大家族』生命の源、平和の象徴…)、どちらにしても鳥が翼を広げた石碑の中に《ROSEAU/葦》という文字が刻まれている。葦は即ち「・・・考える葦である」の葦であることは間違いない。
その石碑を挟んで、石化された一葉と大きな鈴(言葉・主張)がある。
一葉は(葉脈は、地下の根である)は不条理そのものであり《虚偽・妄想》、鈴のほうは《真実》をも含む主張(語り継がれた伝説や史実)である。
その背後には地平線(あるいは水平線)の動かし難い真理が控えている。
空は異様なほど赤いが、陰を確認すると日没(夕日)の赤さではない。狂気・動乱・混迷を暗示するような躍動の赤である。
以上の条件をもって『青春の泉』と題している。
鈴(言語・現実・真実)と一葉(虚偽・妄想)の対峙の中央に〈考える葦/ROSEAU〉が審判官よろしく鎮座している。
この地上に人類が生息する限りは、嘘と真の混沌・対立は免れない。「考えよ!思考は枯れることなく湧き出でる泉であり、考えることによって、Youth/青春は不壊・不滅である」と。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
一郎がすこし行きますと、そこはもう笛ふきの滝でした。笛ふきの滝といふのは、まつ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいてゐて、そこから水が笛のように鳴つて、ごうごう谷におちてゐるのをいふのでした。
☆逸(隠れている)糧(物事を養い育て支える上で必要なもの)の講(話)である。
的(ねらい)を弄(思いのままにしたもの)から擢(抜き出すこと)であると吐く。
願う我意は照(あまねく光が当たる=平等)を、決(立ちあげ)推しはかり摘(つまみとること)である。
冥(死後の世界)の秘(人に見せないように隠す)を推しはかると、漏(秘密が知れること)を告げる。
それどころか、そのことによって、あの手紙が価値の低いものだとあなたに思いこませ、こころならずもあなたをだますようなことになったかもしれません。他方、わたしたちがこの手紙にたいした価値をあたえなくても、おなじように疑われたことでしょう。
☆わたしたちにとってあの証明書は何の価値もないものだとわたしたちに働きかけ、同じように疑惑を作り出したかもしれません。この証明が重要でないとしても、他の先祖と異論を唱えたわたしたちの言葉と行動が何故欺くということになったのでしょう。