『誓言』
水平線上に日の出(日没)の赤い太陽が描かれており、手前には石化した巨大なリンゴ(木の実)が数多の岩に囲まれ支えられている。空は朝焼け(夕焼け)であり、青空ではない。
太陽の昇降は動かし難い真実であり、少なくとも人が生きて在る限りの永遠である。その太陽に対峙するかのリンゴは巨大に膨張し石化している。石化は長時間の経過と死を表象するものである。
ずっと先の未来…形骸化し果てたリンゴ(木の実)は《「主なる神はとこしえの岩だからである」イザヤ書・第二十六章より》である岩に支えられている。
命の木、善悪を知る木の実、知恵の実とも称された果実(リンゴ)は、岩である神によって支えられ微妙に傾きながらも太陽(真理)に対峙している。
この光景をもって『誓言/The Pledge』とした意味はどこにあるのだろう。
社会を席巻した大いなる教えは、はるか遠い未来においても必ずや失せることなく立派に残存し得ることの証明だろうか。
石化の無念、しかし色を失い果てても《聖なる教え》はその形を留めるほどに強くあるに違いない。それが誓言=契約だからである。(そうかもしれないが、そうでないかもしれない)
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかつたかい。」
滝がぴーぴー答へました。
☆的(ねらい/目標)は、二つあり、糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)は等(平等)である。
そして、この両極端の中道を歩むこと、つまり、手紙を正しく判断することは、まったく不可能なのです。手紙はたえずその価値を自分で変えるものです。それがきっかけで、こちらはいろいろと思案をかさねるわけですが、これには際限がありません。
☆この両極端な考えの中間を保つこと、証明書もまた正しい判断をすることは不可能です。あなたの価値はあなた自身で変えるものなのです。熟慮は無限の機会を与えられます。