月光の象番にならぬかといふ
象番、動物の象ではない。
月光の象(すがた・かたち)であり、その位相は、番/かわるがわる変わる。
月光の象(すがた・かたち)、「番にならぬか・・・かわるがわる変わらないでしょうか?(変わるでしょう)」という。
ロマンあふれる句である。
動物の象だという思い込み。(一方を認識すると他方は見えない)ゲシュタルト心理学を巧みに、さらりと使い分けた飯島春子に乾杯!
月光の象番にならぬかといふ
象番、動物の象ではない。
月光の象(すがた・かたち)であり、その位相は、番/かわるがわる変わる。
月光の象(すがた・かたち)、「番にならぬか・・・かわるがわる変わらないでしょうか?(変わるでしょう)」という。
ロマンあふれる句である。
動物の象だという思い込み。(一方を認識すると他方は見えない)ゲシュタルト心理学を巧みに、さらりと使い分けた飯島春子に乾杯!
鴨屋一軒見事な風の吹いてゐる
見事な風(?)、この描写は客観である。ゆえにこの句は実景(写生)ではなく何かの作品を見た感想である。たとえば浮世絵・・・、たとえば《五月雨や大河を前に家二軒》を読み、風を感じると言うように。
見事な風は、受け手の側に巻き起きる旋風、感動である。
鴨屋一軒はオウ・オク・イツ・ケンと読んで、翁、憶、逸、倹。
見事なはビ・ジと読んで、微、示。
風の吹いてゐる(風吹居)はフ・スイ・キョと読んで、二、遂、据。
☆翁に憶(思いを馳せる)。
逸(優れており)倹(つつましい)。
微(非常に細かく)示(教えている)。
(彼自身は)二つを遂(やりとげ)据えている。
鴨屋一軒はオウ・オク・イツ・ケンと読んで、往、臆、逸、兼。
見事なはビ・ジと読んで、備、字。
風の吹いてゐる(風吹居)はフ・スイ・キョと読んで、普、推、挙。
☆往(前に進むこと)の臆(胸の内)には、逸(隠して)兼ねた備(あらかじめ用意してある)字があり、普く推しはかる挙(企て)がある。
『終わりなき認識』
作品は窓外の景である。開口から覗いた景色は草木も生えない非常に高い連峰であり、その中空に球体が浮いている。そしてその上に人が直立し、こちらを見ている。
つまり、主観と客観である。
球体に乗った男には滑り落ちる危険が常に付きまとう。球体はいわば答えである。足下の答えは見ることができないが、確かに男は正解(真理)の上に立っている。人は普遍の真理に存在する生き物であり、虚構の世界には住めない。
しかしこの球体は主体が見た想像上の答えであり、つかみどころも実態も把握の限りではない。世界を一個の球体と認識すれば問いは簡単に解けるが、その球体が永遠に届かないほどの距離にあれば正しく見極める手立てに欠ける。
あらゆる情報を検討し、積み重ねて、結論に至ろうとする。見ようとすればするほど世界は微細に躍動し、その詳細はデータ化を遮ってしまう。
主体(作家/マグリット)は、客観を傍観する。地上に降りることのない宇宙の根本原理は無限の彼方に浮遊している。
認識、ものごとをはっきり見分け、その意義を正しく理解すること。またそのような心の働き。認識の本質への究明に決定的な結論、正解に辿りつくのは確かに困難であることの証明、その図式である。
写真は『マグリット』展・図録より
扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでせう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうかからだ中に、壺のなかの塩をたくさ
んよくもみ込んでください。」
☆秘(人に見せないように隠す)理(道理)、即ち、他意である。
二つを試みる、諸(もろもろ)註(意味を書き記し)問う。
汰(えらび分ける)記は、(わたくし)独りの衷(心の中)に掩(隠した)個(一つ一つ)である。
人前にはいて出るどころか、どこかに隠しておきたいようなスリッパですわ。みなは、わたしをなぐさめてくれました。フリーダだって、そんなに美しい服を着ていたわけではないし、ときにはだらしのない身なりをしていて、お客たちは、フリーダよりも酒蔵番のボーイたちに給仕してもらうほうをよろこんでいたくらいだわ、と言ってね。
☆秘とは慰めてくれましたが、フリーダだって非常に立派というのでもなく時にはだらしない風でした。客は地下倉庫の若者の給仕の方を好んだくらいです。