続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)正月や。

2020-10-15 07:14:43 | 飯島晴子

   正月や鱪(しいら)の男方女方置く

 鱪(しいら)は22㎏、86~140㎝と巨きな魚であるから、皿に盛る時は切身にならざるを得ない。正月だからと言って男方女方に置くという作法に適うものでなく、双方同じに置くしかないのである。

 正月はショウ・ガツと読んで、章、合。
 鱪はショと読んで、書。
 男方女方はダン・ホウ・ジョ・ホウと読んで、談、放、叙、呆。
 置くはチと読んで、質。
☆章を合わせて書く談(話)を放(送り出す)。
 叙(述べるのは)呆(事の意外さに驚く)質(内容)である。

 正月はショウ・ガツと読んで、声、合。
 鱪はショと読んで、庶。
 男方女方はダン・ホウ・ナン・ホウと読んで、団、放、難・法。
 置くはチと読んで、遅。
☆声を合わせて庶(多くの人たち)が団(一つにまとまり)放(送り出す)のは難しい。
 法(手立て)には遅(時間がかかる)。 


R.M『自由の入口で』②

2020-10-15 06:38:45 | 美術ノート

 自由の入口。しかし、扉や窓などの開口はなく、四方は閉ざされている。入口に立ちはだかる難問だろうか。
 フラットな天井と床面、壁には8枚の作品が任意というように設置されている。どれを強調するというのではなく個々の主張を同列に置き、ぶつかり合うことで意味を霧消している感さえある。

 それぞれはマグリット作品のパーツであり、暗喩を含ませたものである。それらの集合はマグリット自身の総意である。
 マグリットの部屋、偽空間、世界・・・それらを手前に置いた砲台から砲丸を発射させ、それら世界を突き破ることで自由になれるという。
 要するに自身を消滅させた向こう側に《自由》がある、という。

 自身の作品群は自身を束縛、拘束しているのではないか。これら身を削って出した答えである作品群が、自身を包囲している。この呪縛から解放されること。
 作品は自身であり、責任がある。この重責からの解放・・・。
《成し得た証の作品への愛着》、この作品『自由の入口で』は大いなる肯定である。
 しかし、マグリットは心の中に爆破を由とする砲台を用意している。依頼された作品はマグリットのギャラリーであることも間違いない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』55.

2020-10-15 06:30:46 | 宮沢賢治

「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないやうだよ。」
「あたりまへさ。親分の書きやうがまづいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」


☆記を掩(隠す)新しい文である。
 諸(もろもろ)衷(心の中)で、他の記を読み、換(入れ替えて)抜(選び出している)。


『城』3517。

2020-10-15 06:20:59 | カフカ覚書

仕事にかんしては、フリーダがいなくて困るという者は、だれもありませんでした。ご亭主も、満足していました。二日めになってやっと何人かのお客様が、フリーダはどこへ行ったのだとおたずねになりました。


☆現場不在のフリーダに気づくものは誰もありませんでした。二日めになって初めて幾人かの客が、どこがフリーダの本来の場所なのか、と訊ねました。