続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)怒るにも。

2020-10-20 07:28:31 | 飯島晴子

   怒るにも足らぬ短きブランコよ

 怒ろうとしても、内容希薄、振幅がない。

 怒るにも足りぬはド・ソクと読んで、努、促。
 短きはタンと読んで、耽。
 ブランコ(鞦韆)はシユウ・センと読んで、師友、選。
☆努(力を尽くすこと)を促(せきたてる)。
 耽(夢中になって)師友は選(多くの中からえらぶ)。

 怒るにも足らぬはド・ソクと読んで、奴、則。
 短きはタンと読んで、端。
 ブランコ(鞦韆)はシュウ・センと読んで、修、専。
☆奴(やつ)の則(きまり)は、端(きちんと)修(整えること)に専(専念すること)である。


R.M『心のまなざし』②

2020-10-20 06:39:19 | 美術ノート

 立てる位置のまっすぐ前方に白い球体がある。手垢のつかないどこから見ても同じ景色の真理ともいうべき指標である。その間にある上へと積まれた建造物、四角四面の等しい窓がある頭でっかちの不安的な…物理的には存在し得ない建屋がある。
 
 客観的には二つの視点、複眼であるが、主観としての眼差しはこの建屋に象徴されるものであるに違いない。情報の蓄積はさまざまな観点を持つように見えるが、一元的で平面に並んだ際の少ない視点に他ならない。しかも大地(根幹/普遍の真理)に結びつくエリアはきわめて狭く、非現実的である。

 こころ・・・すなわち精神は自由な視点を持つ。変形自在、ありえない妄想が真実を見逃すこともあるのではないか。ゆえにつねに平衡を保つのに苦慮している、出ないと全てが崩壊してしまうからである。

 このバランスを保っている(マグリット)は《喜劇の精神》そのものかもしれないという暗喩を感じる。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』58.

2020-10-20 06:29:06 | 宮沢賢治

「へい、いらつしやい、いらつしやい。それともサラドはお嫌ひですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげませうか。とにかくはやくいらつしやい。」
 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしやくしやの紙屑のやうになり、お互いにその顔を見合せ、ぶるぶるふるへ、声もなく泣きました。


☆兼ねた化(教え導くこと)の記を普く認(見分ける)。
 申(述べること)はTwo(二つ)あり、含む詞(言葉)で接(つなぐ)。
 語(言葉)の眼(要)は、兼ねて合わせる章を究めることである。


『城』3520。

2020-10-20 06:15:40 | カフカ覚書

フリーダは、仕事熱心からでなく、けちと支配欲とから、また自分の権利をいくらかでも他人にとられはしまいかという不安から、すくなくとも部分的には、とくにだれかが見ている場では従僕たちにも監視の眼を光らせていました。


☆フリーダは勤勉からではなく、支配欲から、また訴訟で引き下がるのではないかという不安を持ち誰かが見ているときは、従僕たちにも監視の眼を光らせていました。