続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)わが土鳩。

2020-10-26 07:16:05 | 飯島晴子

   わが土鳩鳴く七月の火星かな

 七月といえば日永、火星の見える時刻はまさに夜である。そんな時刻に鳩が鳴いている。巣作りの予兆だろうか・・・。

 わが土鳩鳴く(我土鳩鳴)はガ・ド・キュウ・メイと読んで、牙、怒、泣、冥。
 七月はシツ・ガツと読んで、悉、合。
 火星はカ・セイと読んで、和、正。
☆牙(きばをむく)怒(いかり)で泣くのは冥(おろか)である。
 悉(すべて)合わせて和(争いを治めるのは)正(道徳的に正しいこと)である。

 わが土鳩鳴く(我土鳩鳴)はガ・ト・キュウ・メイと読んで、我、図、求、命。
 七月はシツ・ガツと読んで、質、合。
 火星はカ・ショウと読んで、加、章。
☆我(わたくし)は図りごとを求めている。
 命(巡り合わせ)の質(内容)を合わせ加える章(文章)がある。


R.M『弁証法礼讃』③

2020-10-26 06:49:11 | 美術ノート

 窓とは何だったろう。
 空間の仕切り(内・外)であると同時に他の世界への開口である。それは内側からも外側からも言えるが、視点の位置によって見え方に差異が出る。つまり室内は閉じた空間であるが、窓外は無限である。

 窓の中は室内と呼ばれ、空間に広がり(伸縮)はない。ゆえに、その中に一戸の建屋があるという景色は非現実的である。(ミニチュアなどという考えは論外)
 物理的な想定は不可能であるという決定が、この作品に問題を与えている。
 物理的判断は観念に等しい。だから、作品は観念の崩壊(否定)を計っていると考えられる。しかし、一方、観念は自由の余白(肯定)を孕んでいる。

 窓の中には心理(精神界)の夢想がある。非現実は常に現実を孕み、その素材なくして目に見える景色として立ち現れることはない。
 矛盾の光景として見える『弁証法礼讃』は、矛盾の肯定である。

 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』62.

2020-10-26 06:29:43 | 宮沢賢治

 その扉の向ふのまつくらやみのなかで、
「にやあお。くわあ。ごろごろ。」といふ声がして、それからがさがさ鳴りました。
 室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふる経て、草の中に立つてゐました。


☆秘(人に見せないように隠した)講(話)を省(注意して見ること)である。
 冥(死後の世界)の質(内容)を昌(あきらかにする)。
 普く認(見分けて)換(入れ替える)。
 双(二つ)を注(書き記す)律がある。


『城』3524。

2020-10-26 06:16:58 | カフカ覚書

仕事に疲れたお役人がたがやっとのことでちょっとのあいだビールの席におすわりになる暇ができたときには、ちょっと言葉をかけてあげたり、眼くばせをしたり、肩をすくめてみせるだけで、気むずかしいお役人がたも、すっかり別人のようになってしまわれるのです。

☆大勢の方たちも終いには俗物として現場不在にし、そして先祖の仕事として彼らを一瞥したのち、素早く合法的に(死の世界へ)渡らせてしまうのです。