『煙火』
小さいプリントなのでよく分からないが、上に見えるのは月ではないか。月の形・・・月食だろうか。太陽・地球・月が一列に並ぶ・・・。それら三体が同列に並んでいるという宇宙的な光景がこの作品の背後にはある。見えないバックとして。(それを隠し、ぼかしている祭りのような船がゆく光景、日食は天の祭りである)
主人公は少女・・・スカーフとエプロン。年端のいかない若すぎる女工の姿。
少女は何かを見ている。
眼差しの先にあるもの・・・船、手の届きそうなところに救護用の梯子が掛かっている。しかし、そのすぐ下の×印とも思える柵は黒く太くとても脱出不可能に見える。
そしてその船は明らかに奇妙な形態をしている。水に浮かぶかもしれないけれど、バランスの危うい、すぐに沈み込みそうな船底。船底が一点で立つ船など見たことがない。つまりは非現実/空想の産物である。下に描かれたものは山だろうか、影だろうか。人の気配はなく、旗と祭りのような飾りが垂れ下がっている。(祭りとは慶事であり、勝利であり、凱旋である)
見たこともない旗のマーク・・・〇にーが上下左右に付いている(地図記号にはあるかもしれない)。上も下もなく右も左もない世界の象徴とも考えられる。(自由、平等、博愛・・・争いのない静けさ)少なくともたくさん尾ひれの付いた国旗は皆無。
少女の煙の中(夢想)に見ている船は、ありえないようなバランスのとれた国(世界)である。(新しい神話・・・理想郷)
煙で白抜きされた花は、少女の背後の花に等しい。
煙火に咲く花は空しいけれど、厳しい現実にも美しい花をあるのだ、と作家はつぶやいている。その後ろの工場らしきもののクレーンは月より高く掲げられ祭りの象徴のように見える・・・しかし、少女からは遥かに遠い。(むしろ圧迫物や恐怖の対象にさえ見える)現実の工場(生活)にも高く昇りつめる梯子は用意されているようだけど、ずっと遠く不明でもある。
煙火は万物を甦らせる・・・しかし、あの抽象的とさえ見える強力な×××の連鎖、世界は隔たっている。けれど作家は繋げようと少女の眼差しに託している。
古賀春江の作品には無産階級の窒息しそうな吐息が隠れている。しかし、あえて労働者の汗を描かず、汚辱、憎悪、闘争を外し、童女の面影を残す少女の夢想を静かに描くことで物悲しい歌を奏でている。(静かに闘っているとも言える)
古賀春江という作家の『闘争』を、わたしは静かに見ている。
(写真は日経新聞の切り抜きをボール紙に張ったもの)
古賀春江は、少女の着衣を貧しいものの象徴には描きたくなかったのだと思う。川端康成が旅芸人の美少女を愛の形にまで昇華させた気持に等しく、作家は愛を持って幼いまま労働に身をやつす少女を、夢の舞台に結びつけたのだと思う。煙火は万物を甦らせる・・・生々流転・・・いつの日か必ず美しい未来が来ることを信じて。