続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『ポラーノの広場』350。

2014-05-28 06:22:00 | 宮沢賢治
「センダード日日新聞だ。」
「それは間違ひです。アムモニアの効くことは県の衛星課長も声明してゐます。」
「あてにならん。」


☆実(内容のある)化(形、性質を変えて別のものになる)で新しい文(文章)に換(入れかえる)意(考え)の講(はなし)を兼ねている。永(とこしえ)の照(普く光があたる=平等)を化(教え導く)帖(書き物)であり、聖(汚れなき)冥(死後の世界)である。

『城』1636。

2014-05-28 06:07:54 | カフカ覚書
 Kがこう言っているあいだ、フリーダは、じっと耳をかたむけていたが、おもむろにKの腕をさすりながら、あなたのおっしゃったことはみんなわたしもおなじ意見ですわ、と言った。でも、あなたは、助手たちの不作法を大袈裟に考えすぎていらっしゃるのではないかしら。


☆注意深くその哀れな伝説に耳を傾けていたフリーダ(平和)は、ゆっくりいたわりながら、わたしも同じ意見です、と言った。でも、ひょっとしたら、助手(脳、知覚)の不作法を過大に考えているのではありませんか。

高橋勝美(ドールハウス作家)

2014-05-27 07:01:22 | 美術ノート
 横須賀市文化会館で開催されている市民手工芸展、みんなそれぞれだけれど、何と言っても圧巻なのは高橋勝美さんの製作する昭和の時代を確実に再現したドールハウス。
 もう十年は彼女の作品を拝見させて貰っているけれど、当初から一貫した精密な描写(再現)には驚愕のリアルがある。

「毎日三時間はアトリエに座って制作します。その時間が楽しくてたまりません」という。(素敵だわ!)

「六分の一を守ってすべてのものを手作りしています」という家屋、設え、小物に到るまでの事細かな再現には、作家の真摯な情熱が行き届いていて、何を見てもただ圧倒されるばかり。ファンタジーとかメルヘンなどという仮想とは無縁、ひたすら昭和に生きた者としての実証言としての作品群である。


 わたしもドールハウスが大好きだけど、到底どころか足元にも及ばない。
 かつて、小さなものに憧れ、「これは(ドールハウスに)使えそうね」などと言って、いろいろガラクタを集めた時期があったけど、六分の一、あるいは十二分の一を貫くことが不可能なのですべて処分の憂き目・・・あっという間もあらばこその敗退。


 作家の製作ノートには綿密な製図が描きこまれていて(ああ、やっぱりここまで計算してやらなくては、このリアルな空気感は出ない)と納得。

 受賞、本にもなり、デパートなどでの展示会も経験なさっている由。TV「ちい散歩」でも紹介されましたよね(見ました!)

 ずっと、ファンです。

『城』1635。

2014-05-27 06:35:18 | カフカ覚書
けれども、連中がいなくなってくれたら、それだけでも気持ちがらくになって、学校の小使いの仕事だって、すべてたやすくやってのけられるだろう。

 らく/leicht→leiche/死体、遺体。

☆けれども、助手(脳、知覚)がなくなれば、気分は楽になり、死体へのすべての責任、不在証明も外へ連れ出す(放棄する)ことができるだろう。

距離。

2014-05-26 06:39:33 | 日常
 仕事は外注のため、受けるにしろ届けるにしろ、電車やバスを乗り継いで出向いた。京急上大岡駅から笹下町あるいは中永谷、京急日の出町駅から天神橋、横浜駅から相鉄線で大和、京急杉田駅から徒歩・・・随分あちらこちらの会社にお世話になったものだと今さらながらに思う。
 ため息が出るほどの距離を、何とも思わず鉄砲玉のように飛び出し、伝書鳩のように帰ってきた。しかもそのいでたちと言ったら近所の小母さんとしか思えないようなラフ・・・というかだらしない格好。気がついたらサンダル履きの事もあったし、もちろん化粧など論外・・・。どこへでも飛んで出た、仕事(お金)のためとあらば。


 今では至近距離のスーパーでさえ億劫で(惣菜は、あるもので済ませよう)という感じ。しかも出ればいきなり持ちきれないほどの買い物、よろよろという足取りでようよう帰りつく日常。

 行動範囲がどんどん狭まっていく。ごく個人的な日常の作業にがんじがらめになって身動きが取れないばかりか、萎縮している。精神的な伸びやかさの欠如は、同じことの繰り返しを甘受するけれど、少しでも違う行動を嫌悪する傾向がある。


 動く目的が身辺に付着しているせいかも知れない。目的の狭さが行動範囲の距離を縮めている。

 空を見て山を見て、そのまた向こうを夢想してみること。そうしようとする意思なくしては遂げることはできない・・・何事も。少年ではないが、大志を抱く意思が世界との距離を縮めてくれるに違いない。半径一キロメートルからの脱出。(と、いつも思っているけれど、時間の方が先回りしてわたしを笑っている)

 距離というものに抵抗をもたず、精神的ジャンプで自由に飛んでみたい。飛ぶという安易な妄想でなく徒歩で行くという健気の方がわたしに向いているとしても。

 《疲労は距離に比例する》ではなく《喜びは距離に比例する》のだと思いたい。

『ポラーノの広場』348。

2014-05-26 06:27:41 | 宮沢賢治
「アンモニアは利かないって、今朝の新聞にあったぢゃないか。」デステゥパーゴは椅子から立ち上がりました。デステゥパーゴは桃いろのシャツを着てゐました。


☆理(道理、物事の筋道)の魂(精神)に挑んでいる。
 真(まこと)を問う意(きもち)を視て(気をつけて見る)、詞(ことば)を留める。
 祷(神仏に祈る)の若(ごとし)。

『城』1634。

2014-05-26 06:06:37 | カフカ覚書
というのは、これからは、彼らにも仕事をしてもらわなくちゃならんからだ。きみは、ここ数日間てんやわんやの連続で、これ以上の無理はよしたほうがよいし、ぼくはぼくで、この苦境からなんとか抜けだす道を見つけだすのに忙しい目をすることになるんだ。


☆あなたは現場不在にならねばならないだろう。安心である一方、小舟の扇動は、最後の日々の強制に見えるし、それによって、先祖はこの苦境からの逃げ道を見つけだすのに没頭することになるだろう

ワークショップ。

2014-05-25 07:30:48 | 美術ノート
 ワークショップ・・・何を売るの?って感じだったけど、葉山の美術館でのワークショップに参加して以来かなりの数に応募している。面白いという感想より、自分自身を確認する作業に近い感覚である。
 日常の平坦さに弾みをつけるという目的もあるかもしれないし、思いがけない出会いに身を投じる緊張感も魅力。
 つまりは自分自身が実験材料でもあるワークショップ。

 昨日も神奈川県立近代美術館/葉山で『ドンゴロス鳥を作る』というワークショップに参加。ドンゴロスというコーヒー豆などを梱包する麻袋の切れ端、もしくは作家/宮崎進氏の使用した残り布を利用して鳥のイメージを形作るというもの。(布は漂白したり染め付けたり油絵の具で着色されて、美しいというよりは汚したものである)
 夏日と予想されたとおりの晴天の下、館庭でのワークショップ。
 予め土台は作ってあり、それに細い木や布を撒きつけたり被せたりして『鳥』のイメージを固めて行くという作業。心地よい海風に包まれての至福。
 それぞれ制作に没頭して賑やかな中、ただボケッとしていたわたし。それでも何となく出来上がって浜辺へ移動、みんな並べて写真撮影。


 何かを作る、形にする、イメージする、現れるものはみな予想外あるいは裏切り・・・反転の意外性。時間の経過と共に矯正されていく自己の観念の勝利は、平凡な通念に堕していく傾向がある。その手前、すでにそうなってしまったことを認めながら手を引く。鳥に眼らしきを添付した時点でカーンと終了のゴングが脳内に響いた。(女神が失笑している)
 《楽しんだんだから、いいじゃないの》という肯定、自己の庇護。


 仲田智先生ご指導の下のワークショップ楽しかったです。ありがとうございました。(一つしかない帽子を貸してくださった関係者の方、申し訳ありませんでした。)

『ポラーノの広場』347。

2014-05-25 07:21:44 | 宮沢賢治
「何だいこの薬は。」デステゥパーゴが叫びました。
「アンモニア二%液」と親方が落ち着いて答へました。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)を、訳(ある言語を他の言語で言い換える)。
 教(神仏のおしえ)に、字で易(とりかえる)新しい法(やり型)で絡/つなぎ、記(書き記す)を、套っている。