続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『屈折率』

2017-12-26 06:52:16 | 宮沢賢治

 屈折率

 七つ森のこつちのひとつが/水の中よりもつと明るく/そしてたいへん巨きいのに/わたくしはでこぼこ凍ったもちをふみふみ/このでこぼこの雪をふみ/向ふの縮れた亜鉛の雲へ/陰気な郵便脚夫のやうに/   (またアラツデイン 洋燈とり)/急がなければならないのか


☆死地の真(まこと)
 推しはかる宙の冥(死後の世界)は虚(空しくなにもない)
 説(はなし)は恒に粛(敬意を払う)
 吾(わたくし)が掩(隠して)運(めぐらせている)隠れてる記は、幽(死者の世界)の弁(言葉)であり、客(旅人)は普く曜(光)であり、道(人として取るべき行いや生き方)を究(つきつめる)

※「屈折率」とは現世と冥府の屈折率のことであり、(七つ森)は七つの海を持つ地球(現世)を暗示している。


『城』2853。

2017-12-26 06:43:18 | カフカ覚書

「そんなおどしなんか、ちっともこわくありませんよ。だって、あなあは、わたしを助手にしたいとはおもっていないんでしょう。助手になっtらわたしが怖ろしいんでしょう。


☆そんな脅しでわたしを驚かせるなんてできません。と、イェレミーアスは言った。しかし、あなたはわたしを確かな思考だとは思っていないでしょう。あなたはわたしの思考を恐怖に思っているのでしょう。


『堀文子展』

2017-12-25 07:24:53 | 漫画

 優しく丁寧、そして鋭敏。大きな妖気を孕んだ風を感じた『堀文子展』
 西澤晴美先生、丁寧な解説ありがとうございました。

 ステキなあの薄緑、ネットで調べたら《孔雀石を微細に砕いたもの》ということらしい。宝石の輝きが作品の中で更に飛躍した雰囲気を醸し出している、そんな気がする。


若林奮『「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型 no.3』

2017-12-25 07:02:36 | カフカ覚書

 「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型 no.3」

「森のはずれ」(へり)に至る、自分の眼差しと視線の限界にある空間の揺れを見えるものに質的変換している。
 こうかもしれないが、そうでないかもしれない。限定は常に微妙に異なる。風が吹いても車が横切っても雨によって遮られても、この形は変移をきたす。
 樹林、樹林の中の不明、それを圧すもの、要するに存在の不確定への凝視である。

 この地平にある変遷を重ねた神秘の歴史と人智との共存。
 この作品(連作)を感じていると、「在る(存在)とは何か」を問う執拗な眼差しに出会うのである。


(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より)


『どんぐりと山猫』(了)。

2017-12-25 06:50:54 | 宮沢賢治

 それからあと、山ねこ拝といふはがきは、もうきませんでした。やつぱり、出頭すべしと書いてもいゝと言へばよかつたと、一郎はときどき思ふのです。


☆太陽を拝み、推しはかる等(平等)、粋(混じりけのない、質の良い)等(平等)は、諸(もろもろ)の源である。
 逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)は、旨(志し/考え)である。


『城』2852。

2017-12-25 06:28:56 | カフカ覚書

それにもかかわらずだ、おれがフリーダにちょっと言葉をかけるだけで、きみがフリーダをたらしこむのに使った嘘八百なんか、もののみごとにたたきつぶすことができるんだぜ」


☆フリーダはわたしに短い言葉で判決を下した。噓を知っているが、あなたは、あなたが先祖を受け止めることも、また断ち切ることも知っている。そしてフリーダ(平和)を偽ることを防ぐことも可能である。


痛みは何かの予告?

2017-12-24 08:02:58 | 漫画

 胃の辺りが痛んだ、痛くてしばらく寝付けない時間があり、夜中の2時ころから4時ごろまでただ《痛い》ことだけに悩まされていた。
 即、医者に・・・こともなげに「胃が炎症を起こしたのでしょう、薬を飲んでも痛みが続くようなら云々」
 確かに痛みは治まり、今に至るまで同じ兆候は皆無であり、薬は2錠飲んだだけで忘れるほどの回復…疲労・ストレス・食べすぎ…原因は未だわからない。


若林奮『「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型no.8』

2017-12-24 07:23:30 | 美術ノート

 「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型 no.8

 森は凹み(不明)ではなく高さを持ち、ランダムな樹林(原始)らしきものが認められる。
 土台(大地)は薄汚れ、等間隔に印が打たれている。時間・時代の経過だろか。写真右の囲みには墓標のようなものがあるが、正しく重ねられた年代の生々流転消滅していくものへの哀悼かもしれない。

 そもそも「森のはずれ」とは何を意味しているのだろう。森のはずれ(へり)を見るとき、必然的に《森》という領域が深層にあり、それは《森》との関係が見えたり消えたりすることで(所有/雰囲気/振動)の振幅を免れない。在るが無く、無いが有るという関係である。
「森のはずれ」は、森(不明)を隠すものであり、森(不明)を感じさせるものでもある。
《森のはずれ》という境界(視野の限界)は森を所有するという憶測(神秘)によって存在しうるという逆説でもある。


(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より)


『どんぐりと山猫』81。

2017-12-24 06:59:51 | 宮沢賢治

 そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も,一度に見えなくなつて、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持つて立つてゐました。


☆太陽の光が腎(要)の和(争いを治める)私記である。
 蔑(見下す/差別)と闘う魔(死者)の赦(罪を許す)は、逸(隠れた)図りごととして現れる。
 逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)は全て新しい字の律による。