朝から雨。オリンピックの野球も4-8と負けが濃厚になった
時から雨も小降りに。
TVを見ていてもつまらんので、近場を散策。
葉山馬頭観世音(一燈寺(いっとうじ))、小さい頃から葉山の観音さん
と呼んでいた。
細くて暗い参道を上がるとすぐ左に小さな池と祠がある。
石段を上がりきると十三重石塔の左に本堂(観音堂)がある。
昔は良く占いが当たるというので、遠くから訪れる人がかなり
いたが、今は静かなお堂になっている。
本山の本尊である馬頭観世音は、今を去る1200年の昔、推古天皇
の御世に出られた聖徳太子の御作で、諸病を除き心願成就の霊験で尊
ばれた。往古からこの地に安置してご利益があり、本村の住人端山光寿
の子孫が代々守護していた。
現在の観音堂には、上記の縁起にも示される三面馬頭観世音菩薩像が
祀られている。毎月17日と18日にのみ厨子が開扉され、姿を拝むこ
とが出来る。とのこと。
昼間でも霊験を感じさせる薄暗いところなので、灯篭のコケも立派に
育っている。
紅葉の季節は誰も知らない超穴場。
臨済宗 円光寺(圓光寺)。
徳川家康が学問所として慶長6年(1601年)に圓光寺学校を伏見に創建。
その後、相国寺に移転したあと寛文7年(1667年)に現在の地に移転した。
昔は尼寺でひっそりとしていた。今は紅葉のライトアップが有名で観光名所に
なってる。
ここから先は拝観料がいるので入らない。
詩仙堂を素通りして八大神社へ。
ここの参道のコケは年季が入っている。
八大神社の御祭神は、一乗寺の産土神さま・氏神さまとして「素盞嗚命」
「稲田姫命」「八王子命」が祀られている。
八大神社の境内地である一乗寺下り松(さがりまつ)にて、慶長九年(1604年)、
剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘した。
武蔵の時代を生きた初代下り松の古木。
周りの祠の木々にちょっと秋の気配。
八大神社の坂を降り、南行きの路地を通ると北山別院に出る。
親鸞が1年間ほど修業をしたところといわれている。当初は天台宗であったが、
延宝5年(1677)に浄土真宗として再興され養源寺と号し、延宝8年(1680)北山
別院となった。境内には、親鸞が修業の途中、この地の湧き出る水で身を清めた
と伝える井戸がある。
北山別院の鐘は、下のほうが花のようになってる。今日気づいた。
境内には、親鸞が修業の途中、この地の湧き出る水で身を清めたと伝える井戸
がある。
中に入って鉄の扉を開けてみた。聖水といわれるだけに、さすが綺麗な水。
(この画像は2007年12月2日)
北山別院を左手に行くと金福寺がある。
臨済宗南禅寺派の寺院。
金福寺は俳句の聖地といわれ、松尾芭蕉の碑、松尾芭蕉像、与謝蕪村の遺愛品など
も残されている。
小説「花の生涯」のヒロイン 村山たか女が、波乱の生涯を尼として終えた寺院。
ここも紅葉時の名所。
(去年の秋に拝観したときの写真がでてきたので貼り付けます)
金福寺から東の山手の暗い参道に入ると波切不動尊がある。
空海が唐からの帰朝の際、荒れた海を鎮めようと念じたところ、海から不動明王
が現れ、嵐はやんだ。
その不動明王を祀ったのが波切不動尊。本山は高野山にある。
波切不動尊は「いんきょの滝のお寺」。滝は裏手にひっそりとある。
「ボケたらあかん長生きしなはれ」の看板には色々なことが書いてある。
・年を取ったら出しゃばらず 憎まれ口に泣きごとに 人のかげ口 愚痴いわず
他人のことは褒めなはれ 聞かれりゃ教えてあげてでも 知っていることでも
知らんふり いっもアホでいるこっちゃ 。。。
とか、いっぱい書いてある。
NIKON D70 標準ズーム使用
時から雨も小降りに。
TVを見ていてもつまらんので、近場を散策。
葉山馬頭観世音(一燈寺(いっとうじ))、小さい頃から葉山の観音さん
と呼んでいた。
細くて暗い参道を上がるとすぐ左に小さな池と祠がある。
石段を上がりきると十三重石塔の左に本堂(観音堂)がある。
昔は良く占いが当たるというので、遠くから訪れる人がかなり
いたが、今は静かなお堂になっている。
本山の本尊である馬頭観世音は、今を去る1200年の昔、推古天皇
の御世に出られた聖徳太子の御作で、諸病を除き心願成就の霊験で尊
ばれた。往古からこの地に安置してご利益があり、本村の住人端山光寿
の子孫が代々守護していた。
現在の観音堂には、上記の縁起にも示される三面馬頭観世音菩薩像が
祀られている。毎月17日と18日にのみ厨子が開扉され、姿を拝むこ
とが出来る。とのこと。
昼間でも霊験を感じさせる薄暗いところなので、灯篭のコケも立派に
育っている。
紅葉の季節は誰も知らない超穴場。
臨済宗 円光寺(圓光寺)。
徳川家康が学問所として慶長6年(1601年)に圓光寺学校を伏見に創建。
その後、相国寺に移転したあと寛文7年(1667年)に現在の地に移転した。
昔は尼寺でひっそりとしていた。今は紅葉のライトアップが有名で観光名所に
なってる。
ここから先は拝観料がいるので入らない。
詩仙堂を素通りして八大神社へ。
ここの参道のコケは年季が入っている。
八大神社の御祭神は、一乗寺の産土神さま・氏神さまとして「素盞嗚命」
「稲田姫命」「八王子命」が祀られている。
八大神社の境内地である一乗寺下り松(さがりまつ)にて、慶長九年(1604年)、
剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘した。
武蔵の時代を生きた初代下り松の古木。
周りの祠の木々にちょっと秋の気配。
八大神社の坂を降り、南行きの路地を通ると北山別院に出る。
親鸞が1年間ほど修業をしたところといわれている。当初は天台宗であったが、
延宝5年(1677)に浄土真宗として再興され養源寺と号し、延宝8年(1680)北山
別院となった。境内には、親鸞が修業の途中、この地の湧き出る水で身を清めた
と伝える井戸がある。
北山別院の鐘は、下のほうが花のようになってる。今日気づいた。
境内には、親鸞が修業の途中、この地の湧き出る水で身を清めたと伝える井戸
がある。
中に入って鉄の扉を開けてみた。聖水といわれるだけに、さすが綺麗な水。
(この画像は2007年12月2日)
北山別院を左手に行くと金福寺がある。
臨済宗南禅寺派の寺院。
金福寺は俳句の聖地といわれ、松尾芭蕉の碑、松尾芭蕉像、与謝蕪村の遺愛品など
も残されている。
小説「花の生涯」のヒロイン 村山たか女が、波乱の生涯を尼として終えた寺院。
ここも紅葉時の名所。
(去年の秋に拝観したときの写真がでてきたので貼り付けます)
金福寺から東の山手の暗い参道に入ると波切不動尊がある。
空海が唐からの帰朝の際、荒れた海を鎮めようと念じたところ、海から不動明王
が現れ、嵐はやんだ。
その不動明王を祀ったのが波切不動尊。本山は高野山にある。
波切不動尊は「いんきょの滝のお寺」。滝は裏手にひっそりとある。
「ボケたらあかん長生きしなはれ」の看板には色々なことが書いてある。
・年を取ったら出しゃばらず 憎まれ口に泣きごとに 人のかげ口 愚痴いわず
他人のことは褒めなはれ 聞かれりゃ教えてあげてでも 知っていることでも
知らんふり いっもアホでいるこっちゃ 。。。
とか、いっぱい書いてある。
NIKON D70 標準ズーム使用