元々占いは好きではない。
TVに出ている占いばばあとかじじいを見ると、ペテン師か詐欺師に
見えてしまう。
霊感○○とか心霊写真を解説とかしているやつも同類である。
朝、民放でやっている今日の運勢とかが始まるとチャンネルを変える。
今日も一日元気で行こうと思ってるときに、根拠の無いことを言われ
る筋合いは無い。
だいぶ前に道を歩いていて、人相占いをやっているのを見かけたが、
占ってるやつの人相が悪い。
とかいってる本人が、占いで有名な晴明神社を覗いてみようと考えて
いるのだから、話は支離滅裂である。

晴明神社。堀川通りに面してる。
晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で、
幼い頃から非常に賢明で多くの道に秀でていた。特に天文暦学の道を
深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけていた。
成人となった後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、
円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕え、数々の功績をたて
た。
ふーん。博士やったんや。

この戻り橋は、平成7年まで実際に使われていた親柱でミニチュアを
再現したもの。

桔梗が境内にいっぱい咲いてます。の看板があったが入り口にほんの
少しだけ咲いてた。


晴明神社の境内には細い道路が通っている。その道にみやげ物やがあった。
この場所も占いで「儲かる」とでたのかな。

晴明井。
山城名泉の一つで病気平癒の水としてご利益がある水が湧き出る。
取水口がその年々の恵方を指す仕組み。
五角形は東西南北の方向がよーわからん。

神殿にも星形のマークがきんきらりん。

お尻と違います。厄除桃です。
このお尻、もとい、桃を撫でるとご利益がある。

結局、良くわからんかった晴明神社を後にして、細い一条通りを西へ。
このあたりは路地も多い。
自転車に乗ってる人が綱渡りをしているような錯覚におちいった。


このあたりも町家とかが多く、きれいに花を植えてる。

智恵光院の門が見えたので入ることにした

智恵光院は,称念山平等寺と号する浄土宗の寺で,永仁2年(1294)に
五摂家の一つ鷹司(たかつかさ)家の始祖である兼平(かねひら)が,自家
の菩提寺として如空(如一国師)を開基に迎えて創建した。
本堂は安政2年(1855)に再建したもので,安阿弥作という阿弥陀如来像
が本尊として安置されている。

獅子頭守護石と書かれてた。そういえば何となく獅子に見える。

喜八の塔。喜八っさんはどんな人か知りません。

金ぎょく竜王神。この石の何が金ぎょくなのか。なぞ。
智恵光院は誰でも入れる町のオアシス的な所です。

浄福寺の赤門をうっかり通り過ぎ、西門から入ってみた。
延暦年間(782~802年)に天台宗の寺として建立され、当時は二十五大寺の一つ
に数えられた。
室町時代末期の大永5年(1525年)に後柏原天皇から念仏三昧堂の勅号を賜って
浄土宗を兼ねるようになった。

地蔵さんの近くに大きな欅がどっしり構えてた。

木が先なのか、家が先なのか。


浄福寺の赤門。渋みが加わりどっしりしている。
この寺も開放されていて気兼ねなく入れる。いいお寺さん。
TVに出ている占いばばあとかじじいを見ると、ペテン師か詐欺師に
見えてしまう。
霊感○○とか心霊写真を解説とかしているやつも同類である。
朝、民放でやっている今日の運勢とかが始まるとチャンネルを変える。
今日も一日元気で行こうと思ってるときに、根拠の無いことを言われ
る筋合いは無い。
だいぶ前に道を歩いていて、人相占いをやっているのを見かけたが、
占ってるやつの人相が悪い。
とかいってる本人が、占いで有名な晴明神社を覗いてみようと考えて
いるのだから、話は支離滅裂である。

晴明神社。堀川通りに面してる。
晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で、
幼い頃から非常に賢明で多くの道に秀でていた。特に天文暦学の道を
深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけていた。
成人となった後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、
円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕え、数々の功績をたて
た。
ふーん。博士やったんや。

この戻り橋は、平成7年まで実際に使われていた親柱でミニチュアを
再現したもの。

桔梗が境内にいっぱい咲いてます。の看板があったが入り口にほんの
少しだけ咲いてた。


晴明神社の境内には細い道路が通っている。その道にみやげ物やがあった。
この場所も占いで「儲かる」とでたのかな。

晴明井。
山城名泉の一つで病気平癒の水としてご利益がある水が湧き出る。
取水口がその年々の恵方を指す仕組み。
五角形は東西南北の方向がよーわからん。

神殿にも星形のマークがきんきらりん。

お尻と違います。厄除桃です。
このお尻、もとい、桃を撫でるとご利益がある。

結局、良くわからんかった晴明神社を後にして、細い一条通りを西へ。
このあたりは路地も多い。
自転車に乗ってる人が綱渡りをしているような錯覚におちいった。


このあたりも町家とかが多く、きれいに花を植えてる。

智恵光院の門が見えたので入ることにした

智恵光院は,称念山平等寺と号する浄土宗の寺で,永仁2年(1294)に
五摂家の一つ鷹司(たかつかさ)家の始祖である兼平(かねひら)が,自家
の菩提寺として如空(如一国師)を開基に迎えて創建した。
本堂は安政2年(1855)に再建したもので,安阿弥作という阿弥陀如来像
が本尊として安置されている。

獅子頭守護石と書かれてた。そういえば何となく獅子に見える。

喜八の塔。喜八っさんはどんな人か知りません。

金ぎょく竜王神。この石の何が金ぎょくなのか。なぞ。
智恵光院は誰でも入れる町のオアシス的な所です。

浄福寺の赤門をうっかり通り過ぎ、西門から入ってみた。
延暦年間(782~802年)に天台宗の寺として建立され、当時は二十五大寺の一つ
に数えられた。
室町時代末期の大永5年(1525年)に後柏原天皇から念仏三昧堂の勅号を賜って
浄土宗を兼ねるようになった。

地蔵さんの近くに大きな欅がどっしり構えてた。

木が先なのか、家が先なのか。


浄福寺の赤門。渋みが加わりどっしりしている。
この寺も開放されていて気兼ねなく入れる。いいお寺さん。