弁財天様を祀る神社を検索していたら、街中の高辻室町にある繁昌神社も京の弁財天とも言われているらしい。
今朝、会社近くなのでさっそくお参り。
烏丸高辻を左に曲がり西方面に歩くと、下京中学成徳学舎の古い立派な建物が現れる。
その正面に繁昌神社がある。
繁昌神社
祭神:市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命
末社:班女塚
拝殿に「繁昌神社の由来」の説明文が置いてあったので戴いてきた。
その由来文には以下のようなことが書かれている。
伝説では、清和天皇の代(858年~876年)、藤原繁成という人の邸宅の庭に功徳池という大きな池があったそうです。
延喜年間(901~922年)、その中島に市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神(市杵島姫命は、仏教で言う弁財天)を勧請したのが、当社の始まりです。
安芸の宮島、京都神泉苑、京都繁昌神社の御神体は同体とされ、古くより信仰を集めて参りました。
その後、当社は、真言宗のお寺が管理されて、功徳院と呼ばれました。明治政府が神仏分離した後、今日に至ります。
全国で唯一、「商売繁昌」の繁昌神社です。
商売繁昌、家内安全、諸芸成就、良縁成就のご利益があるとされています。
ほほう、神泉苑の御神体と同体とは初めて知りました。
ちょいと読みづらいけど「繁昌神社」と書いてありました。
本殿は小さな祠。
提灯には桃のマーク。
本殿周囲を見渡しても班女塚が見つからない。
入り口の案内板をみると、本殿の西の路地を北側に行くとあるとのことで行ってみた。
奥のほうにそれらしき社が見えてきました。
班女塚。
良縁成就の社になっている。
元々このあたりに繁昌神社があったとされている。
赤い大きな岩で貫禄がある。
御神体の岩の奥に地蔵さんがひっそりとおられる。
その隣には「住吉姫松」と彫られた岩が祀られている。
右手の路地のほうにも地蔵さんがおられた。
この路地を北に行くと仏光寺通りに出る。
周辺にも通り名がつかないような路地があちこちにある。
今度探索してみようと思う。
繁昌神社の拝殿に「自由にお持ち帰りください」と書いてあったので、戴いてきました。
大切に使います。
今朝、会社近くなのでさっそくお参り。
烏丸高辻を左に曲がり西方面に歩くと、下京中学成徳学舎の古い立派な建物が現れる。
その正面に繁昌神社がある。
繁昌神社
祭神:市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命
末社:班女塚
拝殿に「繁昌神社の由来」の説明文が置いてあったので戴いてきた。
その由来文には以下のようなことが書かれている。
伝説では、清和天皇の代(858年~876年)、藤原繁成という人の邸宅の庭に功徳池という大きな池があったそうです。
延喜年間(901~922年)、その中島に市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神(市杵島姫命は、仏教で言う弁財天)を勧請したのが、当社の始まりです。
安芸の宮島、京都神泉苑、京都繁昌神社の御神体は同体とされ、古くより信仰を集めて参りました。
その後、当社は、真言宗のお寺が管理されて、功徳院と呼ばれました。明治政府が神仏分離した後、今日に至ります。
全国で唯一、「商売繁昌」の繁昌神社です。
商売繁昌、家内安全、諸芸成就、良縁成就のご利益があるとされています。
ほほう、神泉苑の御神体と同体とは初めて知りました。
ちょいと読みづらいけど「繁昌神社」と書いてありました。
本殿は小さな祠。
提灯には桃のマーク。
本殿周囲を見渡しても班女塚が見つからない。
入り口の案内板をみると、本殿の西の路地を北側に行くとあるとのことで行ってみた。
奥のほうにそれらしき社が見えてきました。
班女塚。
良縁成就の社になっている。
元々このあたりに繁昌神社があったとされている。
赤い大きな岩で貫禄がある。
御神体の岩の奥に地蔵さんがひっそりとおられる。
その隣には「住吉姫松」と彫られた岩が祀られている。
右手の路地のほうにも地蔵さんがおられた。
この路地を北に行くと仏光寺通りに出る。
周辺にも通り名がつかないような路地があちこちにある。
今度探索してみようと思う。
繁昌神社の拝殿に「自由にお持ち帰りください」と書いてあったので、戴いてきました。
大切に使います。